商業的電子ジャーナルを作るか?

ある出版物が、電子ジャーナルになるという。ここでいう電子ジャーナルというのは、商業的な刊行ではなく、誰でも見れる形でネットにあげるということだそうだ、無料で。となると出版社は、仕事としては関われないことになる。

電子ジャーナルなら、wordでPDFでコストがかからないと考えている方がいらっしゃいます。その場合、編集者が関われば、文章を書き換えたもらったり、校正して赤字を見つけたりする。それをすべて、自分でwordで直してもらう、というのでは、学術編集者としてコメントできない、気がする。

関与するのではあれば、ビジネスとしての可能性がないと難しい。ゼロと可能性では大きく違う。電子ジャーナルの場合でも、出版社が関われば、InDesignか何かの組版ソフトで組んでそれを使うと言うことが必要だろう。ePub3にするにしても、PDFにするにしても、体裁を変えるということは、重要なプロセスだ。

体裁を変えるという過程があるから、コミットできると考えている。ひつじ書房は、社内でDTPをやっていないのは、印刷所に組んでもらって、それを作業者とは違った目で、視点で確認するので、間違いを見つけることができる。そうして、組むのなら、コストは関わるわけで、コストを回収する手段のない、そのような「電子ジャーナル」の刊行の仕方では、関与できない。助成金でももらわなければ無理だろう。海外の学術電子ジャーナルは、そういうのが多い。科研費と大学の助成金で支えて出すことが多いようだ。LSAもそうだ。

ネットに公開することで、完結すると考えるのなら、出せばいいということになるわけだが、公開とパブリッシュは違うと考える。ここでいうのは、公共性というのは、当事者以外の人がどう関われるかということだから、ネットに公開して、知り合いだけが読む、検索して、部分的に読むというのは、公共性の促進という点では、不十分だという思いであります。

商業的電子ジャーナルを作るか?

しかし、そのさい、電子ジャーナルとして出すということを考える時に、osが変わったら読めなくなるかも知れないですが、いいですねと聞いて、「いいですよ」と答えてもらえるか、だねえ。ある程度、紙の本が担っていた、責任に対して無責任になることを覚悟しなければならないことになる。

せめて、紙の書籍版を出すことをやめることはできないだろう。それが責任といえるか?

blogの存在感

このところの、ネット行動は何か知りたいことがあると検索して、その調べていること、探していることについて誰かが書いてあるのを見つけた時、知りたいことがあるとそのページを離れて、誰がそのことを書いているのかということをほとんど気にも留めないで、また、デスクトップに戻る、ということのくりかえしのような気がする。

見つけたページの過去まで遡って、どういう人なんだろうと考えたりするということが少なくなったような気がする。

まじめなページにおかしな広告がでていても気にしない人が増えたことも気になる...広告などどうでもいいのだろうか。それも違うような気が...

あとは、mixitwitterfacebookで、知り合いの書いている文章を読んで終わりというネット生活。

ブログは、facebookmixiをやっていない知り合いのページを見るくらい。

ブログの存在が薄れてきているような気がするが、どうなのだろうか?

恐怖のgoogle document

恐怖のgoogle document



表が(奇数ページから)偶数ページまでにまたがっている場合のみ、「Table 2 cont.」のように「つづく」という行を挿入しなさい。

contの部分が、私のパソコンではcentと表示されていた。私の目の錯覚ではない。EEに確認してもらった。他の3名のところでは、contと表示されていた。

文書が同じはずであるのに見た目としてちがったように表示されてしまう、ということは、これは近代以前、活字文化以前のことでありまして、しかも、文字の前、口承時代ということにもなる。

これは文明史的に驚くべき自体ということになる。

情報は、誰が見ても同じであるという近代的な考え方を裏切るということになる。それで許容されるのであれば、文明史的な転回ということになるからだ。

クラッシュしない能力

仕事をする人に必要な「機能」


サーチエンジンシステムがクラッシュしてもクラッシュしない能力ということになろう。ちなみに、宮沢章夫の小説に『サーチエンジンシステムクラッシュ』というのがあって、傑作だと思う。


ここで言いたいことは、「検索出来ればいい」「知識は蓄えなくていい」といった物言いへの反論だ。大学に入った学生さんたちに気にしてもらいたい。就職の試験の時にはそういうことが問われるよ、という忠告だ。


モノゴトを知る際に、体系と歴史を最低限は知ること。どうして、どのように、どんなものこととの関わりの中でソレが生まれたのか、ということである。


単に何か一つのモノゴトを検索的に知っているというのでは、話しにならない。これとこれを見て、その中でこれが好きだと思う。それは比較して、こういう点がよいと思ったから、というふうに言うためには、ソレだけを見ていては説明ができないのだ。


もちろん、感性も重要だろう。とはいうものの、多くの人は凡人なので凡人のセンスで「私はこう思う」と自信たっぷりに言っても、それは単に多数意見であったりすることもある。美容院で、美容師さんに得意そうに語っているのはだいたいそういうものだ。これは美容院ではそれでいいのである。


別に一般的であることが悪いことではないので。だが、書籍を作る仕事をするには、やはり独自の視線が必要だし、あるいは独自の視線への共感が必要だから、そういうバックグラウンドが必要なのです。


と書いている文章が、読者を十分に意識しているとはいいがたい、一人勝手ないい方になっているだろう。


そういうバックグラウンドがあることが分かると知性的であること、その人なりの視点、視野、考え方を持っているということが、分かる。個別性というのは、自分なりの物の見方を証明できて分かることなのだから。


クラッシュしないというのは、ネットワークのサーバーがダウンしても、自分で考えられることだ。そのためには、自分の中に情報を蓄積しておき、それを使って考えることができるということが重要だ。その知識は、その人なりの体系を持っている必要があるだろう。

今年の梅見 2012

今年は、このところの何年かに比べると寒さがきびしく感じます。例年は、この時期にとなりの駅のそばまで健康診断を受けるために歩いて行きます。いつもなら、そんなに遠くないし、歩くのに丁度いい陽気なので、平気で歩いて行くのですが、今年はとても、寒くて寒くてバスに乗って行きました。寒いから、そうしようと思ったのではなくて、あれ今年はバスにのったな、ということに気が付いて振り返ってそう思ったわけです。そんなところからも、今年は例年よりも寒さを感じます。

気温は実際どうなのかと思い、気象庁のHPで検索して資料を見ると、私が見た2月の16日から20日まで(東京)についていうと1876年以来一番寒い気温の数字です。数字の上では、例年、12度くらいで、10度を切ることはないのに、今年は4.8度と書いてあります。この数字をそのまま受け取ると計測以来初の寒さということになるはずです。とはいうものの、2012年の数値には、角カッコがついていて、判例を見るとその印の意味は、不確定の印ということらしいです。決まった箇所に置いた温度計で測っているだけなのだから、即座に確定してもいいのではないか、と思うけれど、よくわかりません。まさか、何かの理由で数値を調整しているということもないでしょうが...( 日にちごとで検索しているのですが、日にちごとではなくて、月の平均値じゃないかとBDが言う。そうなのでしょうか。2月が終わったころを見計らってまた見てみます。)

http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php

毎年のこの時期、2月の末に、近所の小石川植物園に社員みんなで梅見に行きます。今年も行こうと思って、小石川植物園のサイトを見てみると「梅は、早咲きの品種が例年よりひと月ほど遅れてようやく咲き始めました。梅園の見頃まではもうしばらくかかりそうです。」と書いてあります。もうしばらくとは、いつのことなのでしょうか。まさに端唄の曲名の通り「梅はまだかいな」といったところです。

小石川植物園の梅見の見ごろは、3月の10日の前あたりでしょうか。でもまあ、早咲きの梅は咲いているということなので、来週には行きましょう。2月中に行っておいた方がうっかり忘れていかなかったということがなくていいでしょう。日々の仕事が忙しいと季節感が無くなりがちなので、恒例行事として2月中に行ってしまうつもりです。

皆さんは毎年、梅見に行かれますでしょうか。決まったスポットがおありになる方もいらっしゃるでしょう。上手く、見ごろにぶつかることを祈っています。こんなに天候が例年と違うとなかなかタイミングを合わせるのが難しいかも知れないですね。

デジタルデータの個別性を保持する

デジタルデータの個別性(所有者の正当性)を保持するためには、ひとつひとつのデータに認証するIDをふることが必要となる。

そして、そのIDが正しいかを認証するためには

1)ネットにアクセスしてデータベースに登録されているIDと照合する。その際に、その認証した人が本人であることを認証することも同時に必要である。

※問題は、ネット上のサーバーが不調だと認証できないこと

2)マシンの中の情報と照合して、本人であること(そのマシンの所有者であること)を確認して、その上で、そのデータの正規の保持者であると考えること

※別のマシンでは開けない。マシンを買い換えた時に引き継ぎが必要になる

私は基本的に2の方向でもっと自由な認証ができないだろうか、と思うのです。

ここで前提として思っているのは、デジタルデータを商品として販売するということです。

ダーシの使い方について

本文中のダーシの使い方について。

まず、続き数字の場合は、enダーシを使うこと。二つの年号が出てきて、期間を表す場合は、ハイフンではなくて、enダーシを使います。ISBNのように数字を分割してからつなげる場合は、続き数字ではないのでハイフンとなる。

ここまでは、基礎。それとは別のこと。以下にメモとして掲示します。


1 本文の補足

→ em(全角)ダーシ

2 対語

→ 平和 - 戦争 状態

慣習的には入れ替えないにしても、前後を入れ替えることが出来ると考えられるものは、enダーシ

3 連語・連名

慣習的には入れ替えないにしても、前後を入れ替えることが出来ると考えられるものは、enダーシ

→ 法然 - 親鸞

4 固定的な連語・連盟

順番に意味がある場合、共同創始者と言える場合は、ハイフン

マルクス-レーニン主義