Hatena 有料切り替えの方法がわからない
Hatena 有料切り替えの方法がわからない。
有料切り替えのナビゲーションにしたがって、いくと、話は有料新設に誘導されていく。
そうなら、これまで書いたブログには永遠にバナーが表示されてしまう。
どうしてそうなるのでしょうか。有料については、仕方がないとしても、有料を選んだ段階で過去のブログも広告表示をやめてもらいたい、と思うのに。
英語教育学会と国語教育学会に参加して
英語教育学会と国語教育学会に参加して、おもったのは英語の方が理論的で、科学的風であったこと。国語教育学会は、「豊かな言語生活」を目指すというが、私には抽象的で、非客観的に感じられる。英語の方が理論的で、科学的風であったのは外国語としてあつかうからなのか、ということで第一言語としての英語教育の場合はどうなのかということが知りたくなった。というのについての本はないかと検索したら、Teaching and Assessing Skills in First Language Englishという本があったので、アマゾンに注文した。英国における、あるいはアメリカにおける、英語母語話者向けの、英語教育の理念は、何なのだろう、かと。
あらかじめ、言っておくと英語教育の目的が客観的かというとそうでもない、4技能の充実とは何だ?それは手段でしょう。
Teaching and Assessing Skills in First Language English
http://www.amazon.co.jp/Teaching-Assessing-Cambridge-International-Examinations/dp/0521753554
国民的議論の推進事業
革新的エネルギー・環境戦略の策定に向けた国民的議論の推進事業、ということを政府が提案し、議論が行われようとしているという中で、言語研究はそれに参加できるのだろうか。私は、参加すべきだと考えている。
そのことは、「議論」について研究してこなかった言語研究者がいまさら、と言われるかも知れないけれども、「議論」を進めることにも、言語研究にも、議論研究にも、重要なことと信じる。
今からでも遅くない、言語研究は参加するべきであり、それがウェルフェアリンギスティックスの中核なのではないか、と私は思う。
さらにそれはウェルフェア国語教育を生み出すことになるはずだ、と予断を持って考えている。
言語研究者の方も、意見書を出すべきなのではないか...
(べき論は、できるだけ避ける方がいい、というのは普段の私の発想ではあるのだが...)
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「革新的エネルギー・環境戦略の策定に向けた国民的議論の推進事業」の問題点について【概要版】
「2012年6月29日、『「革新的エネルギー・環境戦略の策定に向けた国民的議論の推進事業」の問題点について』 と題した意見書を、経済産業省資源エネルギー庁に提出すると当時に、プレスリリースを行いましたので、ここにお知らせします。」
電子学術論文執筆のためのInDesign講座(原案)
電子学術論文執筆のためのInDesign講座(原案)
InDesignだと紙ベースで校正をして、文字を確定して、その後に、pdfとePubに対応するフォーマットに書き出しやすい(はず)
電子出版にアドビが対応する(はず)であり、そうなると動画を埋め込んで、紙ベースで校正をして、文字を確定して、その後に、pdfとePubに対応するフォーマットに書き出しやすい(はず)
出版社が、100パーセントの利益の出るビジネスとしてかかわることが困難と思われる電子学術出版において、著者の方が、電子出版用のデータに移行しやすいドキュメントを作成する方に歩みよる必要がでてくると予想されるのではないか
wordから電子書籍あるいはePubに変換できるようになるというアナウンスは現時点ではない
確定したデータを作るのにいままでの経験からするとwordは対応できないだろう(wordは、画像の解像度を理由なく、下げたりというような不審な挙動があって、書籍編集にむかない)
アカデミック版なら、26,800 円 (本体) なので、wordに比べてもそんなに高くない。学生、研究者ならば、使ってみたらどうか?
印刷博物館に印刷がない
昨日、新人さんを連れて、印刷博物館へ。
驚いたのは、以前はあった印刷史の展示がなくなっていた。展示は、歴史ではなくトピックになっていた。「印刷を歴史を通して、理解しよう」という考えが消え失せていた。昨日は版画について展示してあり、それはそれで面白いが、印刷史がなくなっていた。トピック的に知りたいことを見に行くにはいいけれども、新人に印刷の歴史を知ってもらうために連れて行くということはできなくなっていた。
活字はあったが、紙型の説明がなかった。紙型が生まれて、重版ができるようなったわけで、おおきなターニングポイントだったはずだ。印刷と言っても、紙型の前までは、その都度ページを組んでいたわけで、複製ということでいうと、不完全なものであった、といえるだろう。紙型は複製物を生産していくという印刷の胆であるはずなのに、なかった。紙型の説明がないと木版と活字印刷の違いの意味がわからないだろう。
紙への印刷の実際がなかったこと。活版印刷機もないし、オフセット印刷機もない。さらにオフセットの説明もない。紙への印刷という歴史を抹殺しようとしているのか>凸版印刷。
活版印刷の経験のできるコーナー「印刷の家」があるのではないか、というかもしれないが、あれは伝統工芸の味わい。実際の歴史ではない。しかも、やっているのは1ページものの工芸的印刷。ページモノでは意味が違う。芸術・工芸と商売としての印刷・事業は違う。工芸としての体験はできるけれども、それは社会的な存在としての印刷ではない。
著者から赤字がたくさん入ったら、たいへんなんだということがわからない。思想や考えや理論の表明は、ページモノでないと難しいだろう。(ページモノといっているのは、複数のページモノという意味です。)チラシという存在も面白いが、なぜグーテンベルグの42行聖書なのか、というと書籍を印刷したということが重要なのではないか。印刷博物館には、思想考えの入れ物を作る印刷という視点がない。
印刷美術館、という名前に変更するべきではないだろうか。