印刷博物館に印刷がない

昨日、新人さんを連れて、印刷博物館へ。

驚いたのは、以前はあった印刷史の展示がなくなっていた。展示は、歴史ではなくトピックになっていた。「印刷を歴史を通して、理解しよう」という考えが消え失せていた。昨日は版画について展示してあり、それはそれで面白いが、印刷史がなくなっていた。トピック的に知りたいことを見に行くにはいいけれども、新人に印刷の歴史を知ってもらうために連れて行くということはできなくなっていた。

活字はあったが、紙型の説明がなかった。紙型が生まれて、重版ができるようなったわけで、おおきなターニングポイントだったはずだ。印刷と言っても、紙型の前までは、その都度ページを組んでいたわけで、複製ということでいうと、不完全なものであった、といえるだろう。紙型は複製物を生産していくという印刷の胆であるはずなのに、なかった。紙型の説明がないと木版と活字印刷の違いの意味がわからないだろう。

紙への印刷の実際がなかったこと。活版印刷機もないし、オフセット印刷機もない。さらにオフセットの説明もない。紙への印刷という歴史を抹殺しようとしているのか>凸版印刷

活版印刷の経験のできるコーナー「印刷の家」があるのではないか、というかもしれないが、あれは伝統工芸の味わい。実際の歴史ではない。しかも、やっているのは1ページものの工芸的印刷。ページモノでは意味が違う。芸術・工芸と商売としての印刷・事業は違う。工芸としての体験はできるけれども、それは社会的な存在としての印刷ではない。

著者から赤字がたくさん入ったら、たいへんなんだということがわからない。思想や考えや理論の表明は、ページモノでないと難しいだろう。(ページモノといっているのは、複数のページモノという意味です。)チラシという存在も面白いが、なぜグーテンベルグの42行聖書なのか、というと書籍を印刷したということが重要なのではないか。印刷博物館には、思想考えの入れ物を作る印刷という視点がない。

印刷美術館、という名前に変更するべきではないだろうか。