ギデンズの本を読んで考えたこと。

ギデンズの本を読んで考えたこと。

モダニティの時代は、考え方として、所有から共有、固定から流動へとのシフトが起こった。私は、実態としてそうなのではなくて、考え方としてそうなのだと思う。そういう時代に、知識は所有するより、必要な時にとってくればいいという「引き出し」的知識観に変化した。

本当は、知識は自分自身に蓄えていないと使えないのが実際だが、知識を蓄えていた方が偉いという発言が時代遅れのように見えてしまうのがギデンズのいうところのモダニティの時代の特徴だ。

そういう時代に、保存性、無変化性、固定制という考えに基づいて作られる書籍という存在は、会わない。しかし、実際には保存性、無変化性、固定制は、今でも重要だが、重要だということを発言することが時代遅れと捉えられてしまうということだ。

そういう認識であれば、書籍は、草双紙化するということだが、学術書は書物なので、矛盾する。とすると、章ごとに草双紙化しつつ、一冊の保存物は、別に保持しておける方法を模索するしかないか。それは芸術的なオーラをつけるしかないか。

あるいは、芸事のように参加する人が負担するか。学芸化。趣味の高度化ともいえる文学研究は可能かも知れないが、科学を志向している言語学のようなものの場合、学芸化は科研費主義とは矛盾するので、科学主義とは相容れないか?

しかし、科学コミュニケーターというものが、本当になりたつとしたら、科学芸人というものが生まれることだから、科学の学芸化というものも不可能ではないか?

これは、お分かりだと思うが、ネット時代の編集者というもののあり方についての考察なのです。