覚えとして、自炊代行提訴について

自炊ということばがそもそも、おかしいとおもうのだ。お湯を入れてチンすることを自炊というのだろうか。その日本語感覚に、消費者絶対王権の大きな傲慢性を感じてしまう。




以下のリンクは覚えのため。

私はとても同感です。玉井さんは以下の文章からはじめる。


「今回、「自炊代行」を業とする二社に対して、著名な作家・漫画家7氏が差止めを求める訴えを提起したと報道されています。これについては、「作家は自分たちの権利のことばかりを考えて、読者(お客さん)のことを考えていない」
という批判がなされています。ツイッターでの私のタイムライン上では、これに賛同する賛同する意見が大勢です。

しかし、私はまったくそれには共感しません。」


自炊代行提訴についての雑感 --- 玉井克哉
http://agora-web.jp/archives/1416605.html



福井健策弁護士ロングインタビュー:
「スキャン代行」はなぜいけない? (1/3)
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1112/23/news009.html



別の視点。私がtwitter上で川添歩さんにおくった文章。↓

( )はここで補足した箇所。

鉛活字が生み出されたのがデジタル革命の第一歩で、複製技術がはじまった。もともと印刷は複製です。今までは物理的障害というか抵抗があって、これまでバランスがとれているという奇跡的状態であり、それが(作家の人々が)崩壊するのを生理的に恐れるのは仕方がないのでは。非論理に理ありと思う。

ただ、複製技術が進歩したのに対して、お金をやりとりする技術がほとんど全く(少なくとも個人にとっては)進歩しないのはどういう理由からなのだろうかと思うのです。複製技術が寺院から印刷所にそして個人に共有されたのに、そっちはいまだに国家と銀行が独占しているという不均衡。