ことしもお世話になりました。

ことしもお世話になりました。



ことしは激しく揺れた1年でした。昨年の決算がよかったので、調子にのって、2月には私の50歳になった誕生会をやりました。3月は、ここ数年行っていないTCPの発表を聞きに慶應義塾大学の三田キャンパスに行きまして、発表を聞いている時に地震にあいました。5時間をかけて徒歩で事務所に帰り、自宅に帰ってテレビを見て、その被害の大きさに驚きました。そして、原発の爆発とメルトダウンがあって、テレビの報道に釘付けになりながら、政府の説明のひどさに驚きました。しかし、いっぽう、広瀬隆の『危険な話』を大学時代に読んでいる自分としては、食い止められなかったという思いを切に感じました。



震災の影響もあり、書籍の売上げが落ちていることを専務に指摘され、どう対処するかということを悩みました。固定費の削減をするしかないことを認識しまして、倉庫の閉鎖と人数を減らすことを決断しました。倉庫の閉鎖は10月までかかり、人手を少なくし、どうにか軽傷な赤字で決算を迎えることができました。夏には加藤哲夫さんのお亡くなりになる最後の1週間前にお会いし、対談集を出すことを託されました。加藤さんは東北の方であり、震災を受けた東北から日本を救うということを考えていらっしゃいました。それをどうお手伝いできるかは、課題です。



来年は、三井が産休にはいるということもあって、産休規則を作る必要があり、年末ぎりぎりにその前提となる「就業規則作成」の会議をし、社員からも同意が得られたのでおおむね制定できそうなところまでこぎ着けました。これで、零細企業ではありますが、次のフェーズに入ろうとしているところです。零細企業はいつもそうなんですが、山あり谷ありです。



書籍を書いて下さった著者の方、買って支えて下さっている読者のみなさま、売って下さっている書店の方、ことしもお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


年末の29日に九州大名誉教授でいらっしゃった迫野虔徳先生がお亡くなりになりました。69歳ということですので本当に早い年です。こころより、お悔やみ申し上げます。迫野先生は、ひつじ書房の最初の刊行物である「日本語研究叢書」の最初の予約者でした。第1番目、公費も予約して下さったので第2番目も、先生です。学会ではいつも声を掛けて下さり、たいへんありがたいことでした。もともとの、ご縁は桜楓社時代に刊行しました奥村先生退官記念論文集の時ですので、たいへんながくお世話になりました。

迫野先生のようなかたがひつじ書房を支えて下さった、下さっているということです。ありがとうございます。



展望のようなことは以下に書いています。よろしければお読み下さい。


「2012年12月31日(土)未来の日本語、未来の日本国へ」
http://www.hituzi.co.jp/kotoba/20111231ns.html