一部を批判すると全てを批判していると受け取ること

読書:『頭脳の散歩――デジタル教科書はいらない』


すがやみつるさんのブログで『頭脳の散歩――デジタル教科書はいらない』について言及されている。


私は、『頭脳の散歩――デジタル教科書はいらない』を読んでないので本当はコメントするのには、丁寧さがかけているのだが、すがやさんの論調についてコメントしたい。


すがやさんはそのブログの中で、デジタル教科書には可能性があるのに、否定的に論じるのに対して反対であると言うことで、そのブログの中で、デジタルの教科書に反対していくくせに、その書籍を作るプロセスでデジタル技術の恩恵を受けているのだから、そういうことを主張するのはおかしい、というような論調があって、それはおかしいと私は思う。

すがやさんのこの件について書かれているブログにコメントするのはそういうふうないい方がけっこう多いと感じられるからだ。

デジタル技術によって生み出されるデジタル教科書を否定する人がデジタル技術の恩恵を受けるのはおかしい、という論調。


私はデジタル技術にとって生み出されることすべてに反対する必要はなくて、デジタル技術は技術であるから、まずは技術については中立的なものと考えた上で、人間社会にとって有益なものはそれをよいものとして、悪影響を与えるものについてはそれをよくないものと考えるという考え方である。

一方で、悪い効果を生み出す技術もあるわけであるから、それについては悪い技術と考えるという点で技術を究極的に中立であると考えないという考えである。

たとえば、エンジン付きの自転車があって、坂道をすいすいと登ることはよいことだが、下り坂で減速しないで下って、歩行者にぶつかるということは、悪いことであると思うと言うことである。

以前にアマゾンのマーケットプレイスの値段の付け方はおかしいし、出版社として迷惑しているということをインターネットマガジンメールマガジンに取り上げてもらったところ、何とマーケットプレイスのBBSでひつじ書房松本功マーケットプレイスの批判をしているが、自分でも買っているのにおかしい、という発言があって2つの意味で驚いたことがあった。ひとつは値付けがおかしいということを言ったと言うだけで、ネット上の古本屋さんの古書店業を批判していないのに、批判されていると勝手に怒っていたこと(2000円の本を8000円という根付けて表示している古書店はあって、アマゾンの在庫が一時的に品切れである時にまちがってボタンを押させるという古本屋さんとしてもひどい商売だと思うのだが)、もう一つは私がBBSで発言しているその店から古本を買っているということを公開の場所で語ってしまったということである。守秘義務ではないが、そういうことがあるはずなのに...一部のことを批判すると全てのことを批判したように受け取る人は言うようだ。

この間も、アップルのiPhoneのアップデート政策がひどいとFacebookで書いたら、デジタル世界の恩恵について忘れいるのではないかとおっしゃった人がいた。優秀な方なのですが、アップルの販売政策を批判しただけで、デジタル世界について批判したと思われては困るわけなのだ。

私がアマゾンの在庫表示システムを批判しても、オンライン書店のサービス自体を批判しているということではない。ある一部を批判するとその全てを批判しているように受け止める人がこのように存在しているということが不思議である。すがやさんの論調もそういう傾向があるように思うのだけれども。『頭脳の散歩――デジタル教科書はいらない』を読んでないので、適切ことを言っていないかも知れない。できるだけ、早く買ってみよう。

http://sugaya.otaden.jp/e133795.html

読書:『頭脳の散歩――デジタル教科書はいらない』