いっしょに跳んでみるために

著書を出すということは、協働作業だと言えるのではないだろうか。

それまでにあまり世に出ていなかった研究を人々に問う、ということ。そこにはリスクがある。崖から飛び降りるような。

商品を世に出すというのもそういうことであって、値段を付けて作って世に出したとしても、買ってもらえるかどうかは分からない。

学術書の場合は、商業的には基本的に墜落することがおおむね予想されている。残念ながら。しかし、それは可能性であると言えるだろう。みんなが当然にように受け入れるモノを世に出しても、驚きや感動はないだろう。少なくとも私には。

書籍が飛び立つためには様々な跳躍が必要だ。その中には、著者が買って、献本するということもある。それを驚くのだろうか。出版が継続的になりたつには、出したものが最終的にある程度売れてくれないと困る。売れなければ、社員を雇えないし、事務所を運営できないし、翌年には路頭に迷うことにもなる。出すだけでなくて、それが売れないと。

学術書は1万部、数万部ではなくて、500部1000部の世界である。しかし、それは必死な思いで挑まなければ、直ぐにイカロスのように真っ逆さまである。会社は雲散霧消、露と消えてしまう。

売っていくことをいっしょに考えられなければ、いっしょに跳んでみることは出来ないことだと私は思う。出版社は、出すか出さないかを決めることがあるから、いろいろと説得することは難しいと思う。通じないことばをたくさん話してもそれは恫喝になってしまう危険性がある。

そういうことにならないようにある程度は事前に情報は伝えていると思っていたのであるが、それが効果を生んでいない時、次の言葉を作ることは難しい。いっしょになにかを起こすと言うことがむつかしかったと判断して、道を去ることになろう。