在庫がなくなることがなくなるということ
【改訂版】
電子書籍というか、
もし、書籍が電子的にアーカイブ化されて、在庫が100パーセント問題なくなった時に何が起こるだろうか? 貨幣的な価値あるいは交換価値がなくなるのではないだろうか。いつでも手に入るものは、買って自分のところに置いておく必要性がなくなるからだ。所有しておく必要がなくなる。とすると購入ガイド的な書評もなくなるのかもしれない。 アクセスガイドとなるだろうか。
所有ということがなくなったとすると交換価値もなくなる。交換価値がなくなると市場経済的な価値がなくなる。そうなるとインセンティブが、本人の執筆動機しかなくなる。あるいは書いて下さいという需要。貨幣価値がなくなる。いつでも読めるということは今読まなくてもいい、ということでもある。
と難しい組のものは作れなくなり、編集者的な存在、執筆者でも読者でもない存在の位置が困難になるだろう。
それだけではなく、いつでもあるということは、この著作は今はあまり理解されていないが、将来は広く受け入れられるだろうから、今読んでおくか的な投機的な価値もなくなるのか。
やはり、評価的価値つまり投げ銭的な価値付けしかなくなるのか?
国会図書館が電子化して所蔵することはそういう問題もはらんでいる。
編集、出版が、知識社会のためのアシストシステムだとしたら、それが存在しないということはありえないと思うが、どのような形態で、あり方でそれは存在しうるのだろうか?