製作部員を超えて
藤原書店の藤原さんが、一家をなすようでなければ、編集者とは呼ばないとおっしゃっているそうだです。なので、製作部員というそうです。あるいは編集局員だったかしら。それでは、編集者と呼ばれる人はないのかというと私は分からないが、もし、一家をなすということなら、藤原さん以外にそういう方はいないのかも知れない。
これはヨソのことなので、分からないことではあるけれども、編集者というものと製作部員と呼ばれうるものの違いについて考えたいというのがテーマであるので、ここまでは前ぶりです。カタカナでいくとアシスタントエディターとアクイジションエディターを含んだエディターの違いと言ってもいいでしょう。もっとも重要なのは、
商売人であること
ここで対比しているのは「作るだけ」という段階である。印刷所に発注して、著者とゲラをやりとりをすると本はできてきます。しかし、それは「作っているだけ」です。
もちろん、ちゃんとした売れることのできる体裁、形態の製品を作ること、それをバタバタせずに、スムーズに作ることができるというのも、編集者にとっては必要な、基本的な技能です。
しかし、装丁をどうしようか、文字のつまり具合はどうしようか、などなどを自分で判断できるためには、この書籍がどのように受け入れられ、どのように購入され、読まれるのか、というのが想像できなければ、自分で判断ができないということになります。そのためには、製品としてのイメージを持つことができないといけないわけです。
そのために必要なのが「商売人マインド」なんですね。
正確に言うと「商売人であろうとすること」かもしれません。そのプロジェクトの全体を実感し、見通そうとすることと言い換えてもいいかもしれません。
問題は、それはセンスだとすると学べるのか、ということなんです。昔は、身体で覚えることができた。
私の例で言うと
●24日の夜は社員総出で、取次に出荷する書籍を積み上げた
●研究室に行くとその場で買ってくれることがあった
●主に販売のために出張に行った
こういうことは、先輩達の経験でもあり、そのことに、まつわることばが、社内に充満していましたから、共感を持って実感できたわけですが、今は、取次への出荷は、出荷代行業者に、任せているし、研究室に営業に言って、買ってくれるなどということはほとんどなくなってしまっています。
今の時代はそういう重要な経験ができない...。身体的な経験の不在の中で想像するということは、非常に困難ではないか。もともと気が利かないタイプであれば、できるのだろうか?
私はできると信じていますが。20数年前とは違った想像力と努力が必要となるでしょうね。
追記
読んでほしい文章のタイトルが「2冊」じゃまずいだろう。ここに書くというのは、面と向かって言えばいいじゃないか、思う方もいるだろうが、それは間違っていないけれども、そんなに簡単ではないということが、伝えると教えるの違いであり、困難です。
追記2
「2冊が並びました 」で、変わったと言えるか? 意味に変化があった? ははは。