先生方と飲みに行って気が付く

このブログは、お客様むけのものなのですが、どうも違うふうになりがちです。もし、社長の愚痴と発言の研究ということをされようとしている方がいれば、いわゆる○○で働く社長のブログは優れた情報の資源になると思われます。我らが茗荷バレーというのは、ビットバレーのもじりです。お分かりでしたでしょうか。ビットバレーのビットは渋谷の「渋」とデジタルのビットをかけたものと言われています。バレーは谷ですね。


ということで、茗荷バレーなのですね。茗荷も、その味についてはなんと表現されるのでしょう。bitterであれば、渋と同じなわけです。bitterだと人生の「酸いも甘いも知り抜」いたbitterな人物のような使い方ができますが、茗荷は、もうちょっと草ぽい苦さというか、があるような印象です。おそばに付ける薬味的な渋さ、苦さですね。bitterの方は、コーヒー豆のイメージですね。英語として会っていますでしょうか。


先生方と飲みに行って気が付くことがあるというのが今回のテーマ。編集をするということであれば、人と会い、話すと言うことは重要です。万難を排して、積極的に動くべきでしょう。多少、プライベートを犠牲にしても。もっとも仕事人間の私からすると仕事とプライベートの区別はあまり明確ではないので、犠牲という発想は皆無。編集者にとって、本を読むことと同じくらい、あるいはそれ以上に大事なことは人と会って、できるだけざっくばらんと話しをすることでしょう。


前回の乗り換え可能性の話しも、前日に神田外大の長谷川信子先生と話しをして思いついたことです。ずっと利用者主義と教え込み主義のことについて考えてきて、それで長谷川先生と話しをして、教えられたこと、気が付いたことです。人間は自分1人だけではよいアイディアはでない、というのは編集者の基本的な心情です。それぞれが、それぞれにベストな考えに到達できるのなら、編集という営みは必要がないとさえ言えるからです。



乗り換え可能性は、transfer posibbilityでしょうか。これにeducationを加えてgoogleで検索しても、大学の中のコースの変更が上の方にでてきて、後はほとんど無関係です。生涯教育というジャンルがありますが、その中ではどう考えられているのでしょう。



少し踏み外した大言を吐きますと、これは新しいトピックである、という可能性です。そういう新しい研究を行っている人を探したい。このことに気に留めておいて、言語教育学の先生に尋ねてみよう。青木直子先生たちが提唱しているオートノミーという概念と対立するのかしないのか、などなど。もし、そのような研究をしている方を見つけることができて、相談して、気が合えば、研究会のお手伝いをしよう、発表に聞きに行こう、書籍を作ろう、というふうになります。



もう一言言うと、もしかしたら、これまでに研究されていないのであれば、当然なことですが、検索しても答えはおろか、何が議論されているかは知ることはでsきません。検索不能ということなんです。ところが、話しが脱線しますが、ネット上で発言する多くの人は、検索して見つけることができればいいという発想なんです。でも、誰かが作り出さなければ、うまれないんですと少し興奮気味なってきましたので、ここで中断します。



実は新しいアイディアに取り組んでいる人を支援するというのは、学術出版の編集者ならではの、醍醐味です。この世の中に問題があり、その問題に研究の視点から、最初に取り組んだ人といっしょに仕事ができる。新しいことができるということです。だから、岩波書店のように問題が明らかになり、その研究が一定の社会的評価を得た段階で、本を出すというスタンスとは全く志向が違っているということなのです。岩波書店は、実は種を蒔く人ではなく、実ったら収穫する人なんです。そのことが悪いと言っているわけではありません。別の存在なのです。



などなどと先生とお話しをすることはいろいろな世界が広がるきっかけになります。

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コースの乗り換え可能性を担保できるような外国語教育
http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20110225



追記
言語学習におけるオートノミーについての日本で一番初めての論集を現在編集中です。2校までいっていますので、春のうちには必ず出ます。青木直子先生と中田賀之先生の共編です。