博文館の先見の明、内容ではなくデバイス

博文館の恐るべき先見の明。


これはある印刷所のメールマガジンで博文館を失敗した出版社のように紹介していたのに、いささか反論したと思って書いたモノです。


今は、博文館新社として日記帖の出版社となっている。これは先見の明かもしれない、ということを考えるのは恐ろしいことである。


もともとは『日本大家論集』というあちこちの雑誌に掲載されていたその時代の大家の文章を勝手に許諾をとらずに集めて、売り出したところが、大当たりし、それで財をなし、出版だけではなく、印刷(共同印刷)、洋紙(博進社(たぶん))、書店(東京堂)、図書館(大橋図書館)など、書籍にまつわる事業を成功させていった明治の新興出版社であり、明治大正の代表的な出版社です。

創業者大橋佐平の息子・新太郎は、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』に出てくる富山唯継のモデルと言われています。


時代に合わない買い切り制度に固執したため、後発の大出版社に圧迫されて経営不振に陥る。1927年に『太陽』が廃刊となってからも赤字が続き、1948年、博友社と交友社と好文館の三社に分裂。1949年、博友社の名のもとに再び統合。1950年、博文館新社として再生。博文館新社は、主として日記帖の出版社として存続している。日記は博文館時代からのヒット商品であった。

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「時代に合わない買い切り制度に固執したため」と簡単にいっているが、委託性にも功罪あるわけで簡単に非難できない。日記に集中していったということは、出版社の商売のコアな部分を内容、著作を作り出すことではなくて、書くものという、書き手にとっては個別性の究極で、複製することに意味のないもの、それぞれが自分で自分の言いたいことを書けばいいじゃん、それは日記だという、出版社としては本末転倒とも究極の出版とも言えるものにシフトしたということです。


究極の出版は、自分の書きたいものを書いてそれを残しておくこと、幻想の読者に届けようと祈り続けることかも知れないですね。それは美しいかも知れないですが、はっきり言って単なる独りよがりともいえます。


日記というものは、出版社としての売り物は中身ではなく、その器、書く場所、書く装置つまりデバイスで商売するということになります。これもコンテンツを世に出すという出版社の本来的な使命からすると非常に皮肉な機能です。 書籍と言うよりアプリケーション、あるいはデバイスです。まさに、iPadと言えましょう。


他人の発しているものに肩入れして、世の中に受け入れられるように、ならして、それを公開して、商売にすることが出版業ですから。


●追記
日記張というものを出版社がビジネスの中心にするということは、あくまで個々人が、自分のために書くための材料を商売するということで、書かれたものを広めていくという仕事はメシのためにならないという割り切りがあります。あくまで個々人が自分のために記録することのその帳面を商売にするということを、明治時代の出版の先達が選んだと言うことは、著作物でのビジネスを断念したということを意味します。なので、恐ろしいことと言ったわけです。


もし、それがこれからの出版を予見するものであるなら、将来について楽観できないということを予見させます。


グーグルでもアマゾンでもいいのですが、ブログに対価支払いボタンを付ければ、日記がそのまま、対価物になります。これは、ブログによっては広告バナーがつくことがありますが、それでもいいのかもしれません。それがそのまま電子的書籍だと。電子草双紙かな?