再販制度について再定義する

以前にも再販制度について、このブログで書いたことがあると思うのですが、googleでこのブログ内で再版で検索して見つかりませんでした。

自分の記憶が?。もともと、記憶力は悪くて、勘違いは多かったのでそれが向上したということでしょうか。探して見つからなかったので、ここに書きます。(図書館問題研究会のMLに書いたことが元。)

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再販制度については、wikipediaには次のように書かれています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/再販売価格維持

再販売価格維持

メーカーが小売業者に対し商品の小売価格の値段変更を許さずに定価で販売させることをいう。


結果として次のような社会的な影響があるという。


再販行為の実施により定価販売が行われると、需要に見合った価格が形成されないために販売数量は減少する。またその分の顧客が隣接市場(例:中古市場やレンタル市場など)に流出する。その結果として、社会的余剰(総余剰)は減少する。

なお、再販行為の実施はブランド内競争を減少させる一方でブランド間競争を激化させるという効果をもたらしうる。よって、再販行為の実施が必ずしも社会的総余剰の減少をもたらすわけではない。ただし寡占的市場においては、協調的企業行動によってブランド間競争すら行われなくなるおそれがある。よってこの場合は、やはり再販行為は市場に悪影響を及ぼしうる。



値段を拘束してしまうということは、一般的な商品ではあってはならないこととされる。本当であれば、1000円で買うことができるものが、1500円で売られていたら、その値段で買わないといけないことになり、消費者の価格交渉権を減らすものと思われている。このことに異論はない。問題は小売りと購買者ではなくて、中間的な位置にいる問屋である。


書籍というものの場合、再販制が悪であるというのは違うと思う。その理由は、書籍が文化的なものであるから、特別扱いしないと行けないという出版業界の一般的な見解とは私の見解は全く別の理由からだ。


書籍というものは高尚なものであれ、低俗なものであれ、最終的な読者しか価値を判断できない、という性格を持っている。別のいい方をすると、書籍というものは、ベストセラー、ロングセラー的なもののように需要がある程度予想でき、経済的な価値が分かるもの以外は、流通段階では価値を理解できない商品・製品だからだ。


このことを書籍が文化を担うからと業界では説明するが、私はそうではなく、価値判断が多様で困難な創造的な商品だからだと説明する。


これが、一般的消費財であれば、ベテランのバイヤーであれば、流通段階で、どのくらいの価値であることを判断でき、責任を持って仕入れることができる。したがって、買い切りという仕入れ方法になり、売れ残った場合は見切り品として値段を下げることも可能となる。


しかし、創造的な商品である書籍は、流通業者がその価値を判断できないことが多いため、100パーセント買い取りとなると仕入れのリスクが膨大になりベストセラー、ロングセラー的なもの以外は、流通されなくなるか、ごく少数しか流通されないということが起こる。


創造的商品・製品の場合に流通の困難はどういう具合かを考えてみる。たとえば、陶器は、何度も個展を開いたり、バイヤーに交渉したりして、その陶器作家の市場価値が一般的に共有されてから、はじめて一般的な市場にでることができます。それにはかなりの長期的な時間と個別のコストがかかる。そのようなことを1冊1冊行うというのは、事実上不可能だ。


※創造的というのは、どすけべなものなども含みます。個人的な趣味なども含んでいるので、文化的であっても、必ずしも公共的なもの、社会的に価値が高いということを含意しない。


再販制は、そのもの自体で文化を担うものではなくて、文化的なものが末端(書店)までとりあえず流通するために、取引の手間を軽減し、実質的に流通可能にするという意味で文化にとって重要なものというべきだと思う。


流通に関わる問屋の方、取次の人が、国民一人一人の文化を理解しているなどということはありえない。必ずしも流通に関わる人が文化的な素養、知識、センスがなくても、流通可能にするという仕組みが再販制であると思う。食品とかであれば、いいでしょうが、創造物を問屋さんが判断してしまうことなどできるはずがない。責任買い切りを求めるということはそういう不可能なことを求めていることに気付くべきだ。


以上は、たぶん正しい考えだと自分では思うが、出版業界的には受け入れられていない見解だ。しかし、この見解しか、説得力のある説明はないと考える。