覚え書き 音と声と文字と筆圧

覚え書き


某S書店さん(出版社)が、ひつじ書房に掲載願いを出されるはずが、神戸の書店さんのひつじ書房さんに間違って手紙を出された。速達で出されたので神戸のひつじ書房さんはひつじ書房(私)のところへ速達で回送して下さった。

神戸のひつじ書房さんは、神戸市立図書館で児童書を担当された方が、児童書を大切に思っているが故に独立して児童書の専門店を作られた書店さんで、とても尊敬しておりますし、私がかつて立ち上げたビジネス支援図書館という意味でも、図書館員自身が起業されたという点でも尊敬している書店様なのですが、間違われまして大変にご迷惑をお掛けしています。そういうことをされるとたいへんに困ってしまう。

これが書店さんが、間違って検索してということは、ありうることで、トーハンの出版社名簿が古かった時には、ネットで検索して間違って書店を見つけてしまい、間違って連絡すると言うことはあり得ることでしょうけれども、出版社の人間が間違って神戸に送るなんて許せん、と私は思いまして、了解せず、送り返してしまいました。(自分だって人に失礼なことはするでしょう、ということは少しだけ置いておく。)出版社の人間にさえも、ひつじ書房が全く知られていなかったということに腹を立てているに過ぎないのかもしれません。心が狭いですね。

いかりのこもった筆圧でお送りしてしまいました。

この筆圧は電子テキストでは表現されるのか?というのが今回のテーマです。前ぶりが長いですね。

ある方が、歴史性も個別性も超えたテキストをプレーンなテキストとして書きたい。組版ルールやアプリによる禁則処理も字間調節もされない、あるいはそれに左右されない、テキストとして。書かれたモノと言うがそれは音声なのだと。音声があってそれが文字になる。プラトンのようですね。でも、それが普遍を目指すテキストの作り手としての心意気なのかもしれません。

私は、どうか。音声というが、声の方に注目したい、とそう思います。筆圧とかね。

ツイッターに書いたことばを引用しておきましょう。


電子書籍というものを、ただ、大豆を煮て、凝固剤を入れれば、豆腐ができあがる、というように、ただ、単にテキストを電子書籍という器に流し込めばいいという考えが多い。これは大誤。タンパク質だけ摂取したいのなら、サプリメントでいいわけですね。豆腐は不要です
(2010.4.13.朝)

先にプレーンなテキストを書きたい方が、凝固剤の考えに立っているということではありませんので、ひとことお断りしておきます。

ただ、紙を超えていい、紙にとらわれたくないという考えには、普遍という思考があるのではないかと思います。

しかし、書籍は普遍性とともに声とともある、というのが私の考え。