正林堂店長の雑記帖への異論 公共的情報は無料か

正林堂店長の雑記帖というブログがあって、

>群馬県渋川市の小さな本屋の店長が、本に関する話やお客さんとの会話、地域での出来事、ホームページの更新情報などを気ままに綴ります。

と書いてある。群馬県の本の情報、街の書店の現場、かならずしも平穏とはいえない書店業を少し変わった工夫で、乗り切っていらっしゃることがブログでの発信からうかがうことができます。正林堂店長さんは、とてもユニークな書店さんで一度お目にかかってお話しを聞きたいと思っている書店人の方です。

いつもブログを読むとたいへん勉強になる。ただ、気になることがあって、公共的情報は無料ということを正林堂店長さんがいつも書いている。それには異論がある。正林堂店長さんは、次のように書いているが、私はちょっと違うと思う。

>「情報は本来は社会の公共財」なので本来は無料

そうだろうか。無料といういい方には違和感がある。無料なのではなく、「情報は本来は社会の公共財」なので値付けができない、ということなのではないだろうか。「値付け不能」ということでは? つまり、対価が決まらない、対価が計れない、といった方がいいのではないでしょうか。無料といういい方は違うと思う。

たとえば、入会地という村落の共有物、共有地があったとした場合、それは「無料」かもしれないけれども、何らかの「価値」はある。しかし、経済的に値段を付けることはできない。また、誰かが、交替で、草を刈ったり、そこに家畜を連れてきて、そこで糞をして肥料のようなものをその土地に与えたりする。決して、その場所についてケアしてないということはない。ケアをしているということは、その共有知に何らかの財を投入しているということになる。

このように考えると無料ということはないのではないか。市場的には、値段を付けられない、ということではあっても、けっして無料ということはない。フリーと言ってもいいけれども、それは「タダ」ということではないのではないだろうか。




私がしばしば、「情報は本来は社会の公共財」なので本来は無料、それを独占・秘匿する場合にのみお金が取れるということを書いていますが、無料のレベルから有料のレベルをまたいだ過渡期のビジネスとしてみることができます。

また本書のなかには、無料経済のゆくえや、非貨幣経済の社会では何が支配するのか、といった興味深いテーマに満ちた記述があります。


http://blogs.yahoo.co.jp/hosinopp/folder/921854.html