『情況』11月号宮台さんの議論から

『情況』11月号を手に入れました。朝日の論壇評で、宮台真司の発言が紹介されていたから。模索舎に注文して、先払いで郵便局に行って郵便振替で払ってという超原始的な方法で手に入れました。

読みたかったのは、宮台真司氏のもの。日本は、かつて権威主義的談合であった。ここでは、談合ということを別に否定的に言っているわけではありません。ヨーロッパで言うコーポラティブの訳だそうです。それが行き詰まったので、小泉政権権威主義的談合から、権威主義的市場主義に進んだとのこと。

軸が2つあって、権威主義と参加主義。ものごとを決めるときに誰か選ばれた人だけが決める権威主義と参加する人が自分たちの意見を交わして決めるのが参加主義。もう一つの軸は、談合と市場主義。折衷して、ある分割を決めて、分を決めて共存する方法と、市場性で決めていくのが市場主義。

アメリカは参加型市場主義で、決めたことはもう市場が検証するというやり方で、勝ち負けが決まってしまうやり方。共和党は、決めるルールを公平にしたらあとは市場が決めるというもので共和党は市場が決めたことに従うというもの。宮台氏が言うのは、この市場主義がアメリカでなりたっているのは、宗教セクターがあって、教会などの宗教組織が、負けた人を救う仕組みがあるからだという。

日本にはそういう社会がないのに、小泉政権は、旧来の自民党的な権威主義的談合主義を廃し、財界の権威に依存して、国民をだまして財界の権威による市場主義に走ったと指摘する。

ここで文章には明示されていないが、社会・コミュニティ・地縁というようなものあるかどうかという第3の軸があることがわかる。軸と言うよりもバックグラウンドかもしれない。

宮台氏は日本は、参加型談合で行くしかないと言う。しかし、ヨーロッパが歴史的に持っている地域社会のあり方が日本にはないから、困難だという。自殺率の多さをあげて、日本は経済的に失敗したときに救う社会が存在していない、経済のための社会を犠牲にしてきた、ということを指摘する。

『情況』での、話しはそこで終わるが、私はそういう社会のあり方に「学術」や「芸術」「文化」のあり方が関わっているのではないかと思う。

先日の助成金フォーラムの議論の中でジャパンフェストの古木氏は、日本は欧州型の文化政策ではダメでアメリカ方がよい、さらにはカーター元大統領の言を引用して、政府的な助成に頼るべきではない、というお考えを表明されていた。宮台氏の分析を援用すると、参加型市場主義は宗教的な社会がなければなりたたない、わけであり、そういう社会に社会を変えることができるとは思えず、日本社会の認識について言えば、私は宮台氏の方が的確だと思う。

この冬は、参加型談合社会、というものを志向するという方向で、出版を考え直してみたい。