芸術政策と事業仕分け、そして学術政策は?
行政刷新会議の「事業仕分け」によって、独立行政法人 日本芸術文化振興会に対してハードな評価コメントが出された。
●芸術創造・地域文化振興事業は廃止。
芸術家の国際交流についてもハードな評価。
●芸術は自己責任。日本独自の洗練された文化レベル・芸術性が通用するのであれば、しっかりしたマーケティングで興業可能。
という。
自己責任とし、マーケッティングにゆだねれば、芸術はなりたつというのであろうか。こういう考え方であれば、先日の岡本のような人が「仕分け人」となれば、学術書は全部、ネットで公開すればいい、ということになるだろう。あるいは、世の中にはこのような考えもあるから、廃止と。しっかりしたマーケティングで興業可能であれば、全てが商売可能なものしか、興行できないということになってしまう。
日本芸術文化振興会に対してだが、
●寄付を増やすような政策体系を考えるべき
としている。このことは正しいし、進めるべきだが、今の段階でそのような寄付の仕組みがないところで、芸術政策自体を「文化の振興という数値では図れない事業の必要性は否定しないが、効果説明が不足でばらまきの批判をおさえられるものではない。」ということで、経済支援をなくしてしまうのはとても危険だ。
効果説明が求められる点を否定しないが、説明不能なことは全てカットする、ということになると実質的に芸術支援策はなりたたなくなるだろう。万人に必要なものというわけではないから。
芸術政策については次のブログを注目したい。
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11.12.2009
恐るべし、事業仕分け
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学術公開政策をきちんと説明できるか、ということも重要だ。どのような公共性を生み出していくことができるのか。
ただ、たんに役に立つということを追い求めていくと、北川さんがいうような文明史的な転換ではなく、経済合理主義の貫徹という方向の政策になってしまう。それは、もっとも破壊的だ。
著者が自分でネットで公開すればいい、編集者が関わる紙の出版は意味がない、というようないい方については、反論していく必要がある、というようなことはあまり主張したくないことであるが、やっぱり言い続ける義務がある。