日本の難点 恣意性に意図的にコミットメントする。

恣意性に意図的にコミットメントする。

小林弘人さんの『新世紀メディア論』を取り上げたが、要はこの本で宮台氏が言っているような「恣意性に意図的にコミットメントする。」ということではないかと。これは、まさに「投げ銭」なのである。

恣意性と冗長性というのが、キーワードだ。

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宮台氏は、グローバル化が問題ではなく、グローバル化した社会で傷ついた人を救う仕組みが、日本で崩壊していることに問題があるという。何か社会的なトピックがあったとして、日本は無関心であるということをとがめられない。

企業というものもそうだと思う。アメリカにおける学校図書館に対するのケロッグの支援。これは子どもの食べ物をつくっている会社が、子どもたちのインフラである学校図書館に関わると言うことを当然のことと思っているということであろうし、母語圏に住んでいない移民の子どもたちの母語の問題について、フェッリシモUSAが支援をしている。日本でフェッリシモUSAの作っているポスターを手に入れようとしたことがあるが、日本のフェッリシモはアメリカでやっていることには関知しないということであった。アメリカでは、これも子供服を作っている会社が、子どもたちの母語という大切なモノにコミットしているということだ。

日本にはそのようなネットワークがない。

関心があることには関心があるが、関心がないことには関心がない。