宏文学院編纂 日本語教科書の撮影

宏文学院で刊行されていた教科書の実物の撮影をするために國學院大學図書館にHMとお邪魔しました。HMが担当している『清国人日本留学生の言語文化接触』に収録する写真のためです。宏文学院で作った教科書といっても、どんな表紙だったのかが分からないとイメージしにくいので、実物のかたちの写真を載せようというわけです。

本文を見るのであれば、都立中央図書館などにマイクロフィルムの形式で保存されていますので見ることが可能なのですが、どんな本だったのかを紹介するために表紙の画像を載せたいと思いましたのですが、都立では許可がおりませんでした。宏文学院で教えていた松下大三郎などが大学で教鞭をとっていた國學院大學ならあるだろうと調べたところ、所蔵されていました。お願いして特別の許可をいただくことができましたので、撮影に伺ったというわけです。

宏文学院の前身の亦楽書院でも教えていた三矢重松先生の所蔵の書籍が寄贈されていてその本を撮影することができました。ご仲介下さいましたM先生、國學院大學図書館、みなさまに御礼申し上げます。ありがとうございました。

実物を拝見するとさまざまな発見があります。予想に反して、和装本ではなくて、洋装本でした。上製の製本でしたが、表紙はボール紙ではなく厚紙を使った表紙をまげることのできる開きやすい装丁で、表紙の四隅に空押しをした上品な作りの書籍でした。その当時は、教科書は和装ではなく、洋装だったのでしょうか。製本のコストは安くはなかったのではないか、などと当時の教科書という存在のあり方に思いが生まれます。

たまたま、撮影した本文の部分で「拗濁音ノ練習」とありました。最初の練習のことばは何だと思いますか?










逆賊












なんと。

幸徳秋水がでっち上げで検挙される大逆事件明治43年であり、本書の刊行が明治39年ということを思うと逆賊というのはその当時の流行語だったのだろうか?しかし、ぎゃくぞくということばで、清国からの留学生たちが拗濁音を練習するというのは、とても不思議なことではないでしょうか。