出版の未来 その3 これまでの出版を否定する心情について

出版の未来 その3 これまでの出版を否定する心情について


その2で根拠があまりあるとは言えないのに、簡単に紙の出版を既得権の内側で出版をするものとして批判し、前提無しに電子出版を代替物として気楽に設定する傾向があることを述べた(つもり)。どうしてそのようなことが起こりやすいのか、という点について鈴木謙介氏の『サブカル・ニッポンの新自由主義』がとても有益だと思う。これから、何回か、鈴木氏の新書を元に考えてみたい。

現状を批判するといやおうなく、問題は既得権を持っている人々が意味なく利益を独占しているから、その既得権を奪うべきだといういい方か、現状は改革の仕方が間違っているために本来はその利益を得るべきではない人が利益を得ているから、正しい権利を持っている人にその利益を与え直すべきだということになり、もっと改革すべきだという考えと今の改革を止め本来の権利者を助けるべきだという権利の奪い合いになってしまう、結果として、流動化、不安定化を促進してしまい、誰かから権利を移転すべきだといういい方になってしまう。

また、基本的に能力合理主義があって、能力あれば正しい評価を得るべきだという考えであるので、現実世界が運や様々な要因があると言うことを容認しないために、その地位を得た場合でも、それはたまたま得られているという、後ろ支えのない不安感があるし、地位を得ていない場合には、能力がない、能力を発揮するために努力を十分にしていないという批判を得てしまうことになって、頑張っても安心できないし、頑張って成果が出ないとその成果がでないことまでも、その人の自己責任と言われてしまうというモードに世調がなっているというのだ。

その背景には、パソコンハッカーや60年代末のヒッピー文化を受け継いだカルフォルニアカルチャー、反体制、反権力の気風を引き継いだまま、市場に乗り込んだ気風がある、という。

かなり強引なまとめ方だが、そんなところか。

カルフォルニアカルチャーには敗者に対する同情心はない。勝者の実力主義があって、しかもそれが敗者にもあるということ。今勝っている人には引きずり下ろそうという気持ち、今負けている人には、自己責任という叱声。でも、これは、新自由主義というよりも、自由主義によって生み出されたものである、ということ。