日本語教育の父 嘉納治五郎

日本語教育の父は、誰だろうか。私は、嘉納治五郎を候補として上げたい。他にも候補はあるだろう。上田万年であるとか、…。

ネットで検索しても、出てこないし、そういう呼び方を聞いたことがないので、たぶんそういう呼ばれ方をしている人はいないのではないだろうか。しかし、ものごとには創始者というものがいるはずである。それはだれなのだろう。

嘉納治五郎は、通常、柔道の父と呼ばれる。それは確かにそうなのだが、高等師範の校長でもあったということを考えると教育の父でもある。近代教育の父、と呼んでもいいのかも知れない。

何でこんな事をいうかというと、林屋三平の襲名披露の行事・イベントが目白押しだからである。何でこんな事をいうかというと、落語協会は、落語の復興のために、内部的リソースを活用しようとしはじめているからだ。何でこんなことをいうかというとこれは『苦悩する落語』で、小朝が提唱していたことと同じだからである。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/30650141.html

嘉納治五郎が作った宏文学院の行った日本語教育によって、中国の近代化は加速され、中国に革命が起こり、毛沢東も宏文学院で日本語そして近代思想を学んだ教師によって影響を受けて、現代中国の礎を作ったのである。(共産党の善し悪しはここでは触れない)

日本語教育には様々な歴史があり、問題があったことは事実であるが、歴史的な存在であり、いろいろな意味を持った。というような歴史性を振り返るために、「日本語教育の父」は必要なのではないだろうか。

小朝が言ったように、内部のリソースを点検して、活用し、社会に見えるものとして語っていかなければ、その存在すらどうでもいいものと思われてしまう。どうでもいいと思われてもよいのであれば、ともかく、そうでないのであれば、たとえば、日本語教育を愛しているのであれば、小朝のように苦悩することからはじめなければ。

http://yume-kukan.in/2009/05/post-254.html

春の日本語教育学会の前に刊行する予定の『清国人日本留学生の言語文化接触』(酒井順一郎 著)の初校を見ながら、こんなことを思いました。