立石再訪 鳥房と宇ち多と栄寿司

毎年、始業して最初の金土に行っている1月の合宿を終えて、その後、専務と立石にでかけた。

12月に、宇ち多に行っていたので、鳥の丸揚げを食べようと鳥房へ。4時ごろ行ってみると行列ができていて、狭いと聞いていたお店では、これはかなり待つことになるだろうという予感。モツなら、回転は速いだろうが、鳥は揚げて、出てきて、鳥を解体して、パーツごとに食べていくことになるから、時間が掛かりそうだし、客層が80パーセントくらい、学生とか雑誌を見てきた人(私たちもそうなのだが)で、観光ぽい店になるのも面白みがない。勝手な希望だが、地元のお客さんの中に紛れるということも大事だ。

つまり、飲助の天国に来たはずなのに、その天国の一部の席に座って飲むということが希望なのに、飲助の天国をのぞきに来た人間ばかりを見ながら飲むというのは味気ない。それでは、バーチャルな体験になってしまうのでせっかく来たかいがないと感じたので、持ち帰りに買って、飲むのは宇ち多にしようということにしました。

鳥肉をケース越しに売っている元気なおじいさんが、味があっていい。ちゃんとした鶏肉屋のオヤジという風情。近所に住んでいたら、常連になりたい。住めばいいのか。それはいいかもしれない。

宇ち多は、並ばずに入ることができましたが、シロとレバしかないよ、とのこと。座るとレバーはもう3本しかない(1本が2本の組み合わせ)なので、3本お願いというとじゃあ2本出しておくとのこと。ああ、偉い、他の人も食べられるように1本は取っておくということなのだなと合点。


一人で飲みに来ている人が黙々と飲み、注文していく。土曜日だとまあ、地元以外の人も多かったのだろうが、店のペース(時間の流れ方)が、良くて、飲助の天国の片端に来たよう。こういう気持ち自身が、観光客的なのだが…。ネタがもうない状態だったので、少しの時間で宇ち多滞在は終了。




この後、立ち食いの栄寿司へ。暖簾をくぐって、入る。ここは宇ち多に行った人が次に必ず寄るとか書いていることの多い巡礼の地の一つ。そういう立石ツアーのルートに私たちも入ってしまっているのですね。カウンターの前に行って、ビールを頼むと連れが不思議な音を発しています。彼女は、お寿司屋さんにいくとネタをスキャンするのです。臨戦態勢にお入りになります。

私は、のんびりツアーの中なのですが、そうではなくて、幻想ではなく実体を見ているのですね。彼女の注文で、白子のお寿司を食べました。これは暖かくて、白子がしゃりの上に一杯になって雫のようにこぼれ、盛りだくさん贅沢な感じ。少し暖かく食感も良いし、美味でした。


私など昭和中期的風情を楽しみにいくということになりがちだが、バーチャルというのではなく、現実にそこに存在しているわけだし、博物館でもなく、商売として成り立っているわけである。ネタのよいものを新鮮にかつ手軽に食べてもらう、冷凍やチルドではなくて、熟練の手さばきという、商売の基本をきちんとやっているということが、たのもしい。なにより美味しいし、驚きがある。

そういう店が、あって持続できているということは、おいしいものをきちんと食べたいという普通の感覚を持っている人がそばに住んでいて、地元の人が買って食べるという普通の好意で支えているということだ。

多くの土地は、商店街はそのことをここ数十年の間、できなかったということだ。おいしいものを安く食べることのできる街、それはどのようにして可能であったのか。

安くて美味しいのなら、わが茗荷谷のともえ寿司も同じだが、大きな違いは、宇ち多も鳥房も栄寿司も2代目、次の世代がいっしょに働いていることである。ともえ寿司のヨーダーは、自分の世代で終わりだと割り切っている、この違い。