複数の日本語 ゑびす三郎

myougadani2008-09-21

仕事の目論見をあやまってしまって、これは編集長の責任である、はじめの社中泊をしてしまった。私が夜明けまで会社にいるのは、たぶん、はじめてであろう。

若い娘スタッフが、目録誌「未発」の索引の逆引きをするのに、朝まで残ろうというのに、編集長が先に帰ることができようか、そんなことはできん、というわけで、事務所に泊まりました。私は、歩いても帰れるところなに住んでいるので、仕事はたまりにたまっていますが、泊まるという必要性がないのです。

おかげで、松田陽子先生の『多文化社会オーストラリアの言語教育政策』の割付をすることができました。80パーセントくらいできて、残りは日曜に片付けました。月曜日、印刷所に入れます。(原稿が入りました著者の方は、お名前を出させていただきます)

土曜日は、午後に『複数の日本語』(実際には、タイトルは変わります)という日系ブラジル人の日本語を研究した本の打ち合わせがあって、そのために午前中は英語学校をさぼって寝ることにしました。O大学のK先生とOF大学のS先生に事務所に起こしいただいて打ち合わせをしました。S先生は、娘スタッフその2の母校の師匠の同僚とのことでした。

文字化け問題には驚きましたが、分量を見ると言うことが趣旨で送って下さったとのこと、それであれば納得です。日本語と言っても、南米に渡った人々も、日本語を使っているということは忘れがちなことですが、歴史的な事実であり、今年がブラジル移民100年ということなのです。内容はとても面白いモノです。

Japanesesということでして、共通語・東京語だけが、日本語ではない。もちろん、大阪弁、博多弁もあるわけですが、何とブラジル弁も、サンパウロ弁もあるというわけです。ことばというものは、いかに不思議なものであるものか。

オーストラリアの言語教育政策もそうですが、多文化多言語状況に関わる書籍が、2008年度はとても多いです。これは、たぶん、これからずっと続くのではないでしょうか。アンチ標準という文脈で、明石書店の範囲であったかも知れませんが、言語に関わることであるなら、ひつじ書房の土俵でもありましょう。もしかしたら、シリーズ化するかもしれません。

夕方、家族で護国寺の「ゑびす三郎」に茗荷谷から歩いて行きまして、おいしいお酒をいただきました。生を2杯飲んだ後の聞き酒セットは幸せです。夜2時までやっているということで、11時まで仕事しても飲みに行けます。また、寄りましょう。



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