その気になるとそのチームでしかできない何かを作り出す

私の娘は中1になって、何だか目覚めた。早生まれの究極で、小学校のクラスでものろまで遅い方であったに違いないが、中学になってやたら頑張っている。

中学がもともとの学区と違っていることはよいことかもしれない。前から知っている友だちばかりだとやりにくいことかもしれない。彼女は小学校の時とは違った存在になろうと決意したのだろう。そして、それをいまのとことはやり続けていることはすごい。反抗期に入りつつあって、父親としてはつらいところもあるけれども。

クラブに入って、そのクラブの顧問の先生からの「部員へ」と書かれている部員に対する手紙のようなもの、箇条書きもあって、手紙と言うよりも文書という感じである、そんな印刷物が娘の机の脇に貼ってある。その一番はじめが、「その気になる」ということである。その気にならなければ、はじまらないと書いてある。こうしようと決めてそれに進もうと気持ちをかえるということ。そして、あいだいろいろと書いてあるのだが、最後が「音楽のスキルはあげることができる。でも、○○中ならではの何かを音楽に表現できなければ、○○中の音楽は輝かないし、部活動も楽しくならない」、と書いてあった。「そのチームならではの何か、それをともに実現していきたい」と書いてあった。

これは、会社でもまったく同じことだろう。その居場所でその居場所ならではの何かを見つけようとできないのであれば、それはその場所にいることのすばらしさはない。余所ではできることが、ここではできないかもしれない。そうではなくて、ここでならできるものを作り出せれば、そこにいる意味があるということであり、充実感というものがあるだろう。

中学校の部活動は、あなどれない。多感な時期の子どもたち、人間は中学時代に生まれ変わると聞いたことがある、が過ごしていく場は、人間がせめぎ合っている場であり、チームを作っていくという点では、職場も部活動も重要なことというのは同じなのだ。