校正というものの重要性について

校正というものの重要性について考えさせられること。文字なんて簡単に入力できると思っているのだろう。文字というものは、ビットではない。ビットでもありえるけれども、ビットだけではないものもある。

校正一般と言うことだけで考えるべきではないのかもしれない。校正で、名前と住所というのはもっとも恐ろしく、もっとも気を使うものだ。書籍の本文の誤字であれば、許容することもあるけれども、奥付けの著者名が間違っていれば、印刷し直しということになる。だから、印刷するまえに担当者以外が、別の目で確認するということを必ずしないと行けないという場所なのである。そんなものばかりの文字校正というのは非常に恐ろしいことであるはずだ。


2008/02/13-19:19 派遣中国人に入力作業=年金記録でミス続出−社保庁
 舛添要一厚生労働相は13日の衆院予算委員会で、社会保険庁が雇い入れた年金記録のコンピューター入力要員に、人材派遣会社から派遣された中国人アルバイト88人が含まれていたことを明らかにした。中国人アルバイトは日本語に不慣れで、名字と名前の区切りを間違うなどの入力ミスが相次いだという。民主党山井和則氏に対する答弁。
 舛添氏によると、中国人アルバイトは昨年12月中旬の計8日間、都内の施設で紙の旧台帳からコンピューターへの未入力記録の移し替え作業に従事。社保庁は名前の読みに関するミスが続出したことから、同月19日になって外国人が働いていることを知り、契約を解除したという。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200802/2008021301007