『ポスト・デモクラシー』格差拡大の政策を生む政治構造の読者会をし

myougadani2008-01-23

『ポスト・デモクラシー格差拡大の政策を生む政治構造』(青灯社)の読者会をしたいと思うのだがどうだろうか。

20世紀、労働者、女性、子どもたちの権利は拡大してきたはずであった。ところが、ソビエトの崩壊や日本経済の成功ととともに、公的サービスの非効率さ、公的サービスを支える労働組合の特権的な地位が排撃されるにつれて、公的サービスは、政府ではなく民間企業が、役人労働者ではなく、企業の労働者が担うという方向にシフトした。

確かに公的サービスのもつ、ダメなところはあるというのは事実であった。特権と言われているモノは、20世紀半ばにようやく勝ち取った権利でもあったわけだ。

どんどん市場化していけばいい、となってしまった。

朝日新聞の2008.1.19日の「政治化する30代論客」という記事の中で、『未刊のレーニン』という本を書いた白井聡氏は「物心ついてから。ずうっと『改革』が叫ばれながら、実行されたのは新自由主義構造改革だけ。」と言っている。

どうしてそうなってしまうのか、ということ、どうしたら、それとは違う視点を出せるのかということについての議論が、本書にはある。

今の教育改革はひどいよねと言っても、それは教育業界に関わる人以外には、特権を守れと言っているように聞こえてしまう。その結果、新自由主義に基づく「教育解体」は進んでも、生徒や教師や地域のための「教育改革」は結局行われないことになってしまう。

国立国語研究所を廃止するなんて、ひどいよね、と言っても、税金で言語政策なんて考えてもらう必要はあるの?外来語の統制だって、的外れだったし、とか。個別の結論のうんぬんの問題と組織としてなくしてしまうということは違うはずなのに、大胆すぎる決断を通してしまう。多くの人には言語政策や言語研究は無縁のものかもしれない、であるのなら、廃止されてもいいことなのか。

福祉政策、文化政策、労働政策、生活政策、みんなそれぞれに問題があることは事実であろうが、それが単純な「市場化」というものでいいのだろうか。改革ではなく、単純な解体になってしまっている。

とはいえ、昔に戻れと言うことは言えないわけだ。本書をぜひとも読みたい。 1800円は高くない。






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監訳者によるプロジェクト。
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