ネット隠遁の計画

twitterfacebookは便利で気安い媒体だった。

おかげさまでtwitterは3600という数のフォローをしていただいています。新刊のお知らせや催しのお知らせについては、読んで下さっている方が何人かは不明ですが、一挙にそれだけの人数の方に告知できるというのはたいへんに大きな媒体です。いっしょうけんめい、増やしてきた成果ということができるのではないでしょうか。

facebookは、もう少し実際に顔見知りの方で、研究者の方や学術出版の同業者の方、先輩後輩という近しいつながりの中で,情報を公開したり、意見の交換をしたり、日常茶飯事的なことの中のトピックをお知らせしたり、共有したりという、気軽な媒体として使い勝手のよいものであった。

何と言っても無料であるのが使いやすい。

無料で使いやすいということでは、googleのサービスは本当に助かってきた。メールのバックアップやカレンダー、アップルのカレンダーが微妙なOSのバージョンの違いで共有できないというレベルのものであるのに、無料で使いやすいカレンダー、そして共有ドキュメント。これのおかげて、英文学術書籍のスタイルの勉強会を行っている。たいへん、助かっている。

メールのバックアップとか本当に助かる。無料だから、気楽に転送をかけておいて、元のメールソフトが壊れても、そこにバックアップされていると思うということは、不安定なネット社会にとっては重要なことだし、必須のことだ。それが無料なのだ。

しかし、我々も提供していないわけではない。まず、時間。そして、自分の検索、そしてネットでの活動をgoogleを通して行っていると言うことはネット上での行動をすべてサンプル提供しているということである。データベースを使っていると思ってきたら、自分がデータベースの1データとなっていたというわけだ。

facebookは勝手に体裁を変え、googleは勝手にメールの体裁を変え、プライバシーのポリシーを変える。それが、一方的であることと、私のこれまでのインターフェースを習得するのに使ってきた時間と思考はどうしてくれるのだろう。どうもしてくれないでしょう。

依存しすぎてしまった。使いやすくて、便利で、タダで、ネットに入ればすぐにストレス無しにいろいろできる。あー、この便利さに依存してしまっている。

この便利さから、隠遁しなければ。思考方法まで依存してしまう。私は、そういうことは避けたい。精神に自由を。