中間的なメディアの場所

『ことばの裏に隠れているもの 子どもがメタファー・アイロニーに目覚めるとき』を国語教育の雑誌の編集部に献本した。


その雑誌は休刊しているということで連絡をわざわざ下さった。


思うのは中間的なメディアの場所が空白になってきているということだ。


世の中の方向は、直接、発信者と読者がつながることがいいことだと思われているかもしれないが、中間的な存在があってこそ、出会いや公共的な空間ができるのではないだろうか。


中間というもの。