ことばとことばをつなぐ力を信じる

先週、今週と出版社の先輩方にお会いしている。今週からは同世代あるいは若い世代の人にも会うことにしている。いろいろな立場での、現状の観察、分析をお聞きしたいということでお会いしている。


お会いしたわけですので、皆さん、無事であったわけであり、当日、帰るのに5時間かかった方、職場に泊まり込んだ方、職場と自宅が近いので普通に歩いて帰った方といろいろであった。現状の分析はどうかという点でも、いろいろな観点での話しがあった。


この春から夏にかけて、大きな経済的な変化があると思うのか、それほど大きな変化があるとは思っていないのかという点も様々であった。


私はいろいろな場合はシュミレーションしてみたいと思っている。そのために違う観測を聞くことに意味があるということなのだ。経済的な点、全国的、東京的、業界的という要素があり、全国的にはマイナスでも東京は意外とマイナスにならないとか、全国は少しマイナスで東京で大幅なマイナスということもあるだろう。東京は厳しくても、業界にはあまり影響がないということもありえるだろう。


ある程度経済的にマイナスになることは予想され、それが5パーセントなのか10パーセントなのかはたまた20パーセントなのか30パーセントなのか。それによって、違ってくる。また、製作総定価が前年並みでも、売上げについては前年比5パーセントダウンということもあるし、製作総定価前年比5パーセントダウンで売上げも前年比5パーセントダウンとか、あるいはまた、10パーセントダウンということもある。


こういう時は、なかなか困難だが、つとめて慎重冷静であるべきだ。否定的、ネガティブになってはいけないという鉄則がある。否定的、ネガティブになると感情が悪化し、ストレスがたまり、人を嫉み、憎み、怒りということになるダークサイドの感情に支配される危険性が高まる。仮に良くない状況でも冷静で、淡々としていれば、単純な間違いや気持ちの落ち込みからくるダークサイドの気持ちに陥ることから逃れることができる。2次的災害を避けよう。これはとても重要なことである。


出版社の使命とは何かということをこういった震災、原発事故の時に改めて思うのは、学術出版社の役割ということだ。学術出版社の大元の役割ということに立ち返りたい。「専門的・学術的な知識・情報・研究の発表の場所を作り、その知を広め、かつ次世代に伝えていくこと。そのために研究者に会い、研究の発展を願い、書籍の形で世の中に送り出すこと。」ということが使命である。さらに、「そういうことをに関わること、果たすことを面白いことだと喜びを感じる。」ことが出版人気質だろう。


今回の原子力事故についての会見や情報の公開の仕方、ネットでの情報の伝わり方、マスコミの報道などを見ているといきなりなことと思われるかも知れないが、編集者という存在が本当に重要だとあらためて思った。情報は専門家だけでは、扱いきれないのではないだろうか、素人だけでも扱いきれない、とするとその間をつなげる媒体的な人が必要なのではないだろうか。マスコミは、どうも素人の代表というスタンスになりがちで、中間という観点は弱いと思った。もう1つ、想定外ということばを簡単に使わないでほしいと思った。何か起こることは一回きりのものであるという点で、想定外であろう。問題は想定外のものをあらかじめて安全と決めつけておくことだと私は思う。一回きりということは、新しい経験であり、過去の経験だけでは推し量れない、新しい事態、つまり実験と同じと言うことなのだ。


全てのことが分かっていて伝えられるというのは、甘い観測であると思った。新しい事態に対応する知的能力が乏しい。新しいことリテラシーがないのではないか。どういうことを言いたいかというと、研究、真実というのはどういうふうに議論されて、でっち上げられるか、でっち上げられるというのは言い過ぎかも知れないが、真実も作り出されるものであるということ。この点で、研究リテラシーというものをもっとも世間的に共有するべきではないか。


とするならば、学術出版社や学術編集者の役割は小さくないし、これからいっそう必要になるだろう。ひつじ書房が、原子力関係の書籍を出すと言うことの可能性は低いけれども、そうした学術と大衆(マス)の間をつないでいくと言うことは重要だろう。


私は、ことばとことばをつなぐという力を信じたい。ある出版社の方は、ことばの力を信じて、出版活動を進めていくことを誓ったということであるが、私はことばとことばをつなぐことの方に注目したい。


社長としては、そうした切実な出版、編集への社会的必要性に応えていくことは出版人冥利に尽きることであり、この夏のサマータイムあるいは勤務時間シェアリングなどなど、21世紀の社会にとっての新しいワークスタイル、ライフスタイルに挑戦していくことを、前向きに喜びと考えたい。


ことばとことばをつなぐ力ということを信じるから、我々の営みにも社会的な存在意義というものはあるはずであり、出版・編集というものが一時的に苦境の中にあるとしても、かならず復活するものと信じたい。