ソーシャルとは何なのだ?
ソーシャルとは何なのだ?という不可解なあり方。
SNS、ソーシャルネットワークサービスという時のソーシャル。人々がつながって、やりとりをしていく、そのつながりが面白いというサービスです。このサービスという時も、サービスというのもあいまいだなあ。
岸さんのコラムを読んで思いました。人々のつながりを促進するプラットフォームを作り、それを売りにする。プラットフォーム自体はコンテンツを作らない。参加している人々がコンテンツを作り、無料であつめたものを、企業の価値とする、とのこと。岸さんの記事の中では、検索されやすいキーワードを、ライターに言ってそれで記事を書いてもらって、それで検索された時にヒットして読むコンテンツを提供するデマンドメディアというネット企業もあるといいます。
別役実の「地下鉄のアリス」ですね。地下鉄網が完成するという話しが街に流れている、ある人が地下鉄会社に電話すると、電話の向こうで録音する音がする、どうしてと聞くと「問いかけの中に答えがあるので録音しているんです。」という話し。
商売で顧客の声を聞くというのは当然のことですが、ここにあるのは自己回帰性というか、社会に出ているはずなのが、どんどん還ってきてしまっている袋小路的なネットワーク、まさに網ですね。からみ取られていると言いますか...
ソーシャルというのが他人と出会って、何かが生まれる場所であるはずだとしたら、あらかじめあるのは大きな密室のような空間のごとくのこのネットワーク社会は、回路が広がっているのに、オープンではないような気がしてしまう。
【岸博幸のクリエイティブ国富論】
◆忍び寄る新たなネットバブルの正体
――ソーシャルの名のもとにあなたが消費される
デジタル植民地時代がやってきた!
今回のネットバブルの本質は、マスコミよりもむしろユーザーその人から
ローコストなコンテンツを搾取して、そのコンテンツをユーザー間で過剰に
共有させるという点にある。米国の識者は、この状況を指して、
「デジタル植民地主義」と呼ぶ。http://web.diamond.jp/rd/m1256734