津々浦々まで学校を作ったこと

これは調べたいことですが、私のちからでは調べきらないので、思いつきとして。

明治期に、津々浦々まで学校を作ったのはどんな熱情に促されてのものだったのだろう。

日本を軍事大国にしたかったから?

日本を近代国家にしたかったから?

日本を教育国にしたかったから?

日本を富国強兵したかったから?

長野の山奥、北海道の山奥まで。でもそれはどうして?

結果として津々浦々まで学校ができたわけです。それはどうしてなんだろうか?

軍事大国にしたいのであれば、別にもともと栄養のいい、都会か少し田舎くらいに住んでいる農民を選んで特訓すればよくて、山奥まで学校を作り、教師を派遣するということをしなくてもよかったのではないか。山奥に学校は必要ない、と言ってもよかったのではないか?

軍事大国にしたい、近代国家を作りたいというのはあくまでスイッチで、なにか不明な情熱があって、その情念を加速したのが、ナショナリズムであったり、国家主義だったのではないか?

よく学校は人々を兵隊になるようにトレーニングした、行進や起立礼などの身体的な習慣を教え込んだというが、それはそうだが、富国強兵するためよりも何か過剰なものがあるように感じる。学校制度は人間を画一化して、兵隊にするための制度なのだから、というような批判をすることがある。じゃあ、学校制度を弱めればいいのか。国文学は、日本の国を敬うようにしくんだ、イデオロギー教育なのではないか、などなどというが、そこにはずれがあるのではないか?

国文学を教えなければ、愛国心は生まれずに、社会的にバイアスのかかった社会が生まれないので万々歳だというのは自己批判として何かがずれているのではないか。国文学、学校、教科書、書籍、新聞が近代国家を作る際に大きな機能を果たしたであろうが、それを解体すればいいのか、どうなのだろうか。