メモ 学術出版を起動する記憶 柳枝軒という出版社

江戸時代、17世紀のはじめごろから、1600年代前半にに学術出版が、勃興したらしいということを聞いた。大坂夏の陣のあった1610年代に仏教書出版の法蔵館が、丁子屋という名前で創業している。仏教書出版以外だと、柳枝軒という出版社が、あり、創業者を茨木太左衛門というそうだ。すいません、これから、いろんな研究書を読むつもりですが、その覚えとして書いていますので、もう少しちゃんとしますので、お許し下さい。関ヶ原の戦い大坂夏の陣の戦後の時期に最初の学術出版が起こったということです。


柳枝軒ということばでネットで、検索すると、早稲田大学所蔵の書籍が、出て来ます。吾嬬路記 / 貝原益軒,谷重遠 [著] ; 柳枝軒 [編] (http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru03/ru03_03281/index.html)によると、住所は、「六角通御幸町西江入町(京都)」となっています。京都にいる機会でしたので早速、行ってきました。現在の地名をそのまま当てはめているので、もしかしたら、全く間違っているかもしれません。


和風の家を使ったいかにもそれっぽい感じのはやりの創作和食のお店。フードプランナーのマーケティングの産物という感じですね。働いている若者たちはてきぱきとしていて、好感が持てますし、定食もおいしかった。



街並みの中にはモダンなカフェみたいなものもあります。たしか、ここは小学校の跡地だったと思います。



六角通と御幸通りが実際に交差する場所にはセブンイレブンが鎮座していました。

このあたりということが間違いないとすると寺町通りのとなりで、「江戸時代には書物や数珠、文庫、筆、薬などを商う商人や、紙や三味線などの職人たちがこの道沿いに集まり住み、現代の商店街の原形ができました。東海道五十三次の最終地点も「寺町三条」であったといいますから、京の寺町は全国にその名を馳せていたのです。」(http://www.kyoto-teramachi.or.jp/history/index.html)ずいぶん中心地にあったということのようですね。

法蔵館の歩み
http://www.hozokan.co.jp/hz/_history.html