私は「動的論文」と呼びたい

昨今では「電子書籍」ということが新聞などを騒がせています。新聞の論調は、どうも実質がなく、これまでの書籍というものについてあまりよく認識できていない論調であると感じています。

ある電子書籍の自称ジャーナリスト先生は、文字だけ読めればいいじゃないか、などといっています。そういう自称ジャーナリスト方など評論家は、学術書・学術論文についても、単にマイナーで少数の発行物とだけ認識しているようで、電子化すれば、みんなが読めていい、という認識です。私は、文字列だけで研究論文、研究書になるというレベルの低い議論にうんざりしています。

一方、電子ディバイスによって閲覧される電子書籍あるいは電子論文というものの可能性をまじめに検証してみたいという気持ちがあります。単純にテキストを流しただけ、あるいはpdfにして閲覧できるだけというのでは、わざわざ「電子書籍」という新しいカテゴリーを作る必要がないのではないか、などと思います。

今回刊行しました『可能性としての情報リテラシー』(岡田秀樹・定延利之 編)の金田論文でANVILという動画にノーテンションするソフトを使って研究されているのを論文を読んで知りました。これは動的な現象について、ノーテーションつまりことばを付けていって、研究対象にするという点での前進であり、可能性をしめしています。ここで行われていたのは、研究の手法ですが、それをさらに読者にも共有できるように動画的な記述するという可能性も検証してみてもらいたいと考えます。

そうしますと、紙の上でしか議論できなかったことを越えて、電子的なメディア媒体による新しい検証、新しい説得力、新しい議論の可能性が広がります。可能性がたとえば、動的な、パフォーマンス研究のようなもの、身体、身振りを研究するもの、いわゆる、音素だけではなくて、時系列的な音調などの研究というものを研究して、動画に対応したソフトを用いて記述するものを、私は「動的論文」と呼びたいと思いますが、そのような内容を紙ではなくて、電子書籍で発表することが可能であれば、それは面白いですし、可能性を知りたいと思います。

ということで、定動的現象の研究とその記述方法についての研究書を出版すると言うことについて考えてみたいと思います。そういう研究および記述方法自体の研究というのは、面白いのではないかと思います。

手話研究、芸能研究、ジェスチャー研究、映画研究、動的経済学、動的経営学、アニメ研究、音楽研究に携わっている方、動的論文について、動的論文の記述方法そのものについての研究をはじめませんか?