近世文学会参加記―知識と学問をになう人びと

近世文学会参加記



近世文学会に参加して思ったのは、文学だけで学会がなりたつのだろうか、とのこと。歌舞音曲やら出版流通やら、商業史や知識史、学問史、売春の歴史、などさまざまな「近世」にまつわる諸領域が合同で集まらなければ、「近世」について議論しにくいのではないかと思いました。

私の関心だと下に記した吉川弘文館から刊行されている『知識と学問をになう人びと』がとても面白い。近世史の成果の1つですが、結集しないと難しいのではないか?

文学の中でも文学、俳諧、仏教文学など、それぞれが分割されてしまっている。21世紀、それをもう一度融合し直さないと。

書簡史、書籍史などとも関連するし、当然、言語史とも関係する。大修館書店から刊行されると聞いている「歴史語用論入門」の刊行が、待ち遠しい。「歴史語用論」は文学史と知識史と言語史の接点となりうるからだ。

早稲田大学の和田敦彦さんたちがやっている「リテラシー史研究」も、そこに流れこむ、また1つの流れであろう。近代文学というジャンルであるが、近代文学研究の世界では明らかに盲点になっている書籍、知識の流通に絡んでいる。非常に面白いが、そのことが重要であるという認知がされないとなかなか広い関心を受けにくい。そのことの加速を出版社が関われるとよいのだが、なかなか。





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知識と学問をになう人びと (身分的周縁と近世社会) (単行本)
横田 冬彦 (著)


『知識と学問をになう人びと』を読んで思うのは、地方地方のネットワークや様々な方法で「知識と学問」は流通していた、あるいは流通させようとしていた。農民でありつつ、神学者であったり、民間の儒者であるとともにある時期藩に召し抱えられたり、その身分も様々であった。それで思うのは、大学制度という公式なルートができてしまったために、道筋が限られてしまい、1つのあり方しかなくなってしまった。その中で、大学は大学の論理、制度の中で博士号を取り、学会を純粋化するという方向を取っていった。そして、大学の解体である。大学は様々な意味で知の殿堂という意味を失いかけている。

道筋を、1つにしてしまって、それでやせ細ってしまったと言えるのかも知れない。大学が解体されるとしたら、などとのんきなことを言っている場合ではないのだけれども、もし、知的な活動が重要であり、大学はそのための手段に過ぎないのであれば、大学的システム以外の道筋を作ることを妄想しないといけないのか。

実践女子大学という女子大の雄、向田邦子の出身大学で開催された日本近世文学会で考えたことは、以前にも述べたことがあるが、戦後の国文学の隆盛は女子大の国文科とともにあったということだ。つまり、女性の大学進学率の向上とその中でも社会科学系や理化学系よりも、文学系が望まれたという、女性が職業を持つということが、まだ、過渡期であった時代に、女子大の国文科という存在が貴重であったということ。

そういう女子大と国文科の蜜月関係はとうに終わり、その残像が解体されようとしている現在、国文学という学問はどこに生きるべきなのか。江戸時代は、国文学を志向する欲望の元にはある種のナショナリズム、地域地域の発見と存在の位置づけ、豪農たち、商業的な人々の自尊心にあったと言えるのではないか。めちゃくちゃな単純化だが、そんなに間違っていないだろう。

だから、大学というシステムとは別にアカデミックな場所を作り出すということは、さまざまな意味で容易な道ではないだろう。