読まれたいためにじっと待っている時間

ユリイカ』03年4月、書肆山田鈴木一民さん。




どんな形態を選んだにしても、僕たちは矛盾からは逃れられないんだから。現在も詩集は諸矛盾の塊りです。共同作業の結果のひとつ。それが世界の一部ということ。だから読まれたいためにじっと待っている時間だって、詩集にはあっていいんだよ。




僕にとっては、とても新鮮で心強い。

紙の出版は矛盾だらけだから、電子書籍にすればすっきりするとか、出版はお金が掛かりすぎるから電子書籍にすればコストもかからない、書店の流通も矛盾だらけだから、物流は無くして、無線で落とせればいい、みたいな話しがあるが、私は鈴木さんのことばに意を強くして言いたいノダ、どんな形態を選んだって、書籍は矛盾だらけなのだ、と。矛盾は悪いことなのか、売れるものを売るのなら、詩集だって、学術書も要らないのではないのか。学術書もじっと待つ時間の必要なものだ。

検索は学術書に近いようで近くない。分からないことに付き合うのが学問であるのだから、検索して何かをぴゅっと出してしまおうというのは学術的ではない心持ちのような気がする。鈴木さんもいうようにこの時代になにゆえ、本を出したいと思うのか、しかし、出すからには、即決される判断のためではなくて、それはある矛盾を抱え込もうとする気持ちがあってのことなのではないだろうか。




なのに、なんでみんな本にしたがるんだろうね。今日生まれてくる本は、現在の諸矛盾を全部抱え込んでいると考えないと、帳尻が合わなくなってしまうんじゃない?