仕分けを評価できるための市民教育

仕分けを評価できるための市民教育。

今まで、予算は密室で決められてきたといえる。今回の仕分けはそれを劇場的というよりは「テレビ的」「ウィークエンダー的」に世の中に送り出された。

密室よりはまだまし、と言えるのかも知れない。民主的。公開的だから。一方、立憲的・伝統的とは言えないかもしれない。民主的・公開的は、ギロチンになってしまう危険性を常に持っている。

もし、公開の仕分けが筋になるのなら、その仕分け自体を評価できる必要がある。それの当事者は当然市民と言うことになる。がしかし、評価というのも知識とトレーニングが必要だ。

とするなら、義務教育に「税金と評価」「事業と経済性」「公共性」「緊迫性と長期的視点」というようなことを学ぶことができるような社会的教育の科目と社会的教育インフラおよび公開される資料そのものの共有化する場所とそれを読み解くときのアシストが必要になる。

そうじゃなければ、下手をすると単なるヒステリックになる危険性があるであろう。

学術、とくに文系の学問など、好きな人がやればいい、ネットの時代には勝手にやればいい、「助成に頼る出版社は淘汰されるべきだ」(http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20091020)のような結論になりかねない。もちろん、どういう公共性があるかの説明も重要だ。