電子本、疑問

myougadani2009-11-10

もう電子本、電子書籍だという一部の声がある。国会図書館も蔵書をデジタル化するし、と。

疑問を感じる。

amazonkindleは大きな画面版は、現時点では日本では手に入らない。小さい画面のkindleは、文庫ようにはなるが、知識や研究を取り扱うには小さすぎる。

googleで見ることのできるスリーエーの張先生の本は、意外と読みやすかった。紙の本よりも。紙の本は活字が薄くて読みにくい印象。もしかしたら、私の目が老眼になっているからかもしれない。でも、一冊だけ机に縛られて読むというのは、薔薇の名前時代の写字生のようだ。

社会百面相は読みにくかった。たぶん、古い本なので焼けた紙の色を飛ばすために、文字の形がかけてしまったからだろう。

デジタル化・電子化といってもいろいろある。

私は、もう電子化といって音頭をとるのは、非常に疑問だ。

T-Timeをひつじ書房から販売した時(1998年ごろ)に思ったことは、T-Timeを作ったボイジャーは電子本と言っていたが、基本的に編集や企画という考えはなくて、製作という考えはあったが、出版社を目指していないなあと思い、ああ、結局、コンテンツを載せる電子紙(でんしがみ)を目指していて、電子紙だとぱっとしないので電子出版ということばを使っていたんだなあ、と思ったのでした。

電子紙を目指すことはまったくかまわないが、それは出版じゃないんじゃないという気持ちがします。困ったのは断りなくバージョンアップされることだった。昨日まで普通に売っていたブツが、売れなくなってしまう。

電子的デザイン、電子的アーカイブ、電子的印刷、電子的棚、電子的書き込み、電子的破棄、電子的つながり、さまざまなものが書籍という名前で語られる。しかし、そもそも書籍とはなんなのだろう。そのことを考えずに、気楽に未来を語る行為を私は疑う。

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追記

たまたま、買ったNewsweekの記事の特集が、「本と雑誌と新聞の未来」。新聞には厳しいが、書籍については、まっとうな意見。オライリーの社長の考え(書籍はリンク集になって、ネットに出て行く)については一刀両断。オライリーみたいな、マニュアル的本はネット化してくだろうが、書籍の価値は、情報をあるところで固定することにある、という。まっとうな考えと言える。

一方で私の考えは矛盾している、appleから、タブレットという画像の機械がでるらしい。それで、「季刊ネット言語」創刊できないだろうか、などとも考えてしまった。xml組版エンジンを積んで、サーバーからはき出して、共有と課金の設定を細かく作って、などなど。出資者求む。1万部以上出たら、紙版を出そう。ただ、その場合、問題は本屋さんの棚をどう考えるか、ということじゃないか。