『新世紀メディア論―新聞・雑誌が死ぬ前に』(小林弘人 バジリコ)

『新世紀メディア論―新聞・雑誌が死ぬ前に』(小林弘人 バジリコ)という本がある。小林さんは、私よりも若い1965年生まれで、小林さんの会社の説明から構成すると同朋舎出版在籍時期に編集者として『絵で見る英和大図鑑ワーズ・ワード』を担当し、26万部を越すヒットを出し、その勢いでインターネット勃興を伝える雑誌「WIRED」の日本版、「ワイアード」を創刊、編集長を務める。株式会社インフォバーン設立。月刊誌「サイゾー」を発刊したネットを生きる編集人と呼べる人だ。

この著書で面白いと思うことは、書籍については、インターネット時代においても雑誌や新聞と違って優位性を持っていると彼は考えているということだ。インターネットの時代、情報はフロー化し、個人化する。雑誌の役割は、個人的な完成の共有に基づく物だから、ネットと紙の境目はなくなってしまう。もともと、雑誌は、同じ感覚、同じ指向性を持つ人々のコミュニティを作ると言うところからはじまった。誰かが、こんなもの見たい、こんなものをしたい、しりたいというところからはじまる。それは紙もネットも関係ない。紙と印刷機と取次店と書店という流通の仕組みを出版業界が抑えていて、それだけで勝負のできる時代は終わったのだ。彼はネットだから成功するとは言っていない。ネットの時代は、作ることは容易だが、そこから経済的な規模を得ることは困難だと言っている。
さて、書籍である。21世紀の時代に書籍の優位性とはなんだろうか。非常に当たり前のことであると思う。私は、書き手、著者の思い、考え、思想、研究内容が一番伝わりやすいメディアだからだと思う。1冊という分かりやすい形に納められていること。書籍の生命は、書籍として納められていることにあると思う。そうして、たとえば、ある研究者の研究は1つのまとまりとして、この世に送り出され、それは人類が滅亡しない限り、長く残っていくものである。
さらに、その1冊の書籍というものをひとつのオーソドックスなネットワークとともにそれ以外の人々とのつながりにおいてアクセス可能にしておくこと、それが書籍の生命と呼べるものではないだろうか。そのことを可能な限り、力づけることが出版人の使命だろう。