ネット時代の性(サガ)

インターネットが、民主主義のツールで、個々人の力をエンパワーメントして、経済学者コースの論を元に大企業はもう必要がない(岡部一明さん『インターネット市民革命―情報化社会・アメリカ編』お茶の水書房)といったことばが、あった時代が懐かしい。この本は1996年にでている。だいぶ昔です。98年か99年ごろの岡部さんの講演会は盛況でした。2000年には図書館に関して、講演をしてもらったこともあります。


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4275016262/ref=s9_simb_gw_xi_s0_p14_t1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=0Y8NR8ZRBXR6WKZ2F3RZ&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986



その当時、楽観的に予想していたよりもインターネットにはネガティブな方向にパワーが集まることが多いのではないか、というのが本日のテーマです。

食べログという食べ物評判サイトがあり、カカクコムというインターネット時代の初期に価格比較のページを作って、大きくなった会社が運営していますが、気になることはそこで書かれていることばに冷笑的なことばです。私も含めて人は、何かに対して批判的に言うと自分が偉くなったように感じる傾向があるのではないでしょうか。一言だけ、つけくわえるともとのものよりも一段上のような気持ちになる。いろいろと書かれていることの最後に一言、それでどうしたというと、全てのことをひっくり返すことができやすい。ネットがその方向に人間の感情をエンパワーメントしているようです。

余談だが、このことは全共闘時代の若者がやっていたことではないのだろうか。それが、ネットによって至る所に普及した、ということではないか。

岡部さんの本にはそういうマイナス方向のエンパワーメントについては書かれていなかったけれども、今となってみると、そういう側面を加速しているというのは事実であるし、際限のない足の引っ張り合いを生み出しやすい。これは岡部さんが今のネットの状況を予想できなかったと批判したいのではなくて、そういうポジティブに捉える傾向にみんながあったということです。

食べログを見ていても思うのは、食べ物なんだから、自分には合わないと言えばそれでいいところ、いろいろと正当化する。一般論を持ち込む。少しは褒めておくが、結局、接客が気に障ったということなんだろうけれど、料理を一般論で批判する。

食べログでCPに基づいて評価するという人が多いが、私はCPということばについては絶対視してはいけないと思う。コストパフォーマンス、確かに大事です。おいしく感じて、予想したおいしさよりも安いとお得だと感じるということは、どこかで無理をしている可能性がある、安いということは、賃金も抑えなければ行けないし、非正規スタッフしか雇えないかも知れないし、材料も抑えなければならなくなる。新人を育てることも出来ないし、跡継ぎに注がせることもできなくなるかもしれない。もちろん、財布を気にしないで食べられるのが一番いいわけだが。