Studio Voiceの休刊、雑誌売り場の叫喚

Studio Voiceなどなどの休刊で雑誌の時代が終わった、ということをいう人もいるだろうが、ブックファースト新宿店なんかにいくと雑誌売り場の叫喚というさま。

雑誌の時代が終わったという発言は一面的だ。

いうなら、それぞれがそれぞれで叫んでいる時代か。30年前であれば、新しい何かが生まれたら、それは新しいテーマとして人々が集まり、その集まっていることがパワーになっていたように思う。しかし、それは今は1つの趣味、1つのオタク的トピックが生まれたにすぎない。どんどん細分化していく。さえずり機械。

雑誌が困難なのではなくて、趣味を超えた、公共性とでも呼ぶべき、言論手段とでも読むべき、あるいはカフェとでも呼ぶべき、普遍性につながるようなメディアが難しいということだろう。評判記は可能でも、批評は不可能だ。それぞれの事象はあっても、それを文化的・総合的に評価することが可能ではない。

文化的・総合的に評価するということは、まさに「他者との対話」ということではないか。

一蘭というラーメン屋さんは食べるところについたてがあって、個室風になっている。そんな状態だろうか。でも、それは読者の味わい方だから、ちと違うかもしれない。