対照青年学の必要性

現在、日本語教育の研究論文集を編集しているが、面白い内容で、その内容に啓発されて思うことがある。

東アジア圏から来た若者たちに日本語を教えていて、文化的な違いに驚くという異文化接触というのが背景にあるのだが、その時に日本文化や日本人の特徴やものごとをこう理解するよとかこう受け止められるよ、と先生たちは教えていて、そこには日本と日本以外の社会の違いと言うことが浮き彫りになるのだが、私はもうひとつ軸があるのではないかと思う。どうなんだろうか。

10代後半の大学の入試を受ける世代、まだ、社会を知らない若者と社会人との違いというのがあるのではないだろうか。以前、日本語学校の授業にゲストとして参加した時に、料理の作り方を説明するということがあって、なかなかみんな上手だなと思ったのだが、韓国から来ていた生徒が、自宅ではこれまで料理を作ったことがない、と言っていた。

日本に来てはじめて家族から離れて一人暮らしをするのだろうが、自分の地域から離れると言うことも初めてであって、その社会なりの社会人としての責任ある行動というものに接する以前に外国である日本にきているということだ。

とすると二重の対比があって、日本と日本以外、学生と社会人。ということで、言語を対照するだけでなくて、立場・経験の違いと言うこともけっこう重要ではないか。青年と青年の対照研究というものはあるのだろうか。