出版の未来 その4 学術出版は、出版のプロトタイプ
出版の未来 その4 学術出版は、出版のプロトタイプ
電子出版ということが議論されている場合、出版ということが一概に出版と言えるのか、ということがいつも気になる。そんな安易に、十把一絡げに言ってもらっては困るよ、という感じ。こういうと嫌みに聞こえるとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。すいません、悪意はないので許して頂きたい。例えば、文庫や新書という出版形態と、単行本という出版形態は同じ出版なのか。小説の出版と技術書の出版は同じ出版と呼べるのか。医学書の専門書と児童書は同じ出版なのか。
たとえば、新しい書き手を探していく学術書というものと、著者が有名になって普及させることが中心の書籍と同じ出版と呼べるのか。
2万部刷る書籍と300部刷る書籍は、同じ出版なのか。700円の新書と2万円の専門書は同じ出版なのか?コンビニで売っている600円のお弁当と和食の専門店で出す3000円のお弁当は、同じ弁当と呼ばれているものではあるが、どういう意味で同じお弁当なのだろう。箱に入っていること以外に案外共通点はないかもしれない。
出版の場合も、それぞれの場合、電子出版と言ったところで、その出版は異なっているんじゃないか。音楽CDもCD-ROMもDVD-ROMもフロッピーディスクも丸い版であるということだけで、丸版というくくりにして話しをするようなおおざっぱさを感じる。紙に印刷されているだけで「紙の出版」といい、活字データが記録されているだけで、「出版」というくくりにすることは意味があるのか、正直わからない。ことさらに別という必要もなければ、同じという必要もない。
少し話しがずれるが、ボイジャーがT-TIMEを作ったとき、ひつじ書房は『インターネット快適読書術』(富田倫生)を出し、T-TIME本体を書店で流通させることもした。今はバージョン5.5になったようですが、ボイジャーが言う電子出版は、出版と言うが私には出版ということばを使いながら、電子印刷ということを言っているように思った。文字が表示されるインフラを作っているからだ。そういう意味で、非常に混乱があると思う。
http://www.voyager.co.jp/T-Time/
唐突だが、学術出版は、出版のプロトタイプ、と呼べるのではないかと思う。