4月の振り替え休日 円丈の百年目

入社式をしたり、学会に出店したりの中、お花見をしたりもしていまして、仕事もするし、年中行事もちゃんとやるというあわただしい日々です。HPに告知しておりますように、弊社は新刊がどんどこと出ています。私について言いましても、本日は、仁田先生の『日本語の文法カテゴリをめぐって』が、ようやく刊行になりました。と同時並行で、2冊下版しております。

下版とは、もうこれで印刷してくださいと最終チェックをして印刷所に渡すことを言います。

現在、印刷中で来週には本になります書籍が2冊あります。先週の日曜日には、事務所に出て、割り付けして、今週のあたまには2冊新規に入稿しました。というような状況でありまして、非常に仕事が詰まっております。

そんな忙しくも、3月末の社会言語科学界の振り替え休日を昨日8日にとりました。社長が休んでいるんじゃないとおっしゃられるかも知れませんが、sすすtすとすとrすとれすとれsすとれすすとれすと(パソコンも疲れているようでストレスということばを受け付けてくれず、何度も打ったところ一度に変換されました。)をためてはいけません。

仕事がストレスと言うことはほとんどないのですが、あるパターンに染まってしまうと袋小路に入ります。どうでもいいことに、怒ったりしてしまいます。頭がぼけてきて、記憶が非常に頼りなげになります。さっき、連絡した時に持っていたメモが見つからなくなったり、やっぱりよくないです。たまに出てみないとやっぱりダメです。「遊びも大事でむつかしい」というのは百年目の旦那のセリフですが、昨日は、昼前に早引けして横浜にぎわい座に行って円丈の「百年目」を聞いてきました。

なかなか人情話です。百年目は、円丈の師匠円生が得意とした落語の1つだそうですが、最後の旦那のセリフは、人情味と切なさがあふれる名演だったと思います。私も小さな企業の主ですので、身にしみるところもありました。旦那の話のように「滋養」がぐるぐると回るというのは、たいへん。円丈は、前から用意してきたのかとも思いますが、金融危機不況の中、首切りやら内定取り消しの時代に時代への批評を感じます。

できれば、もう一度、今度は寄席で聞きたい。横浜にぎわい座の客層は、不思議ですね。後ろの4分の1くらいは、老人会の団体のようでした。円丈の面白げな仕草で、結構笑っていて、もう少し円丈の言葉を聞きたいなと思っていても、円丈が面白そうな仕草をすると言葉よりも先に笑っているようで、もう少しセリフをじっくり聞きたいと思う場面がいくつかありました。

何だかえらそうですね。落語を聞き始めて半年もたっていないのに。でも、目の前に生の円丈がいるのですから、きちんと聞きたいと思うんです。ローリングストーンズなら、開演の時に炎が立ち上がっただけで、何だか同じ空間にいることだけで、20000円のチケット代が報われたと思うかも知れませんが、落語はそうじゃありません。

ちょっとぐちぽいですね、まだ、ストレスが残っているのかも。どんどん、休みましょう、百年目の番頭さんのように花見で踊りましょう、と固い決意で生きていきます。


追伸(2009.5.6)

円丈師匠が百年目といっしょにやった「茶金」を封印してしまうと書かれていたが、もったいないと思う。私の感想としては、元々、この作品は、主人公のまじめで運がないところが強調されていると思うが、最後に割れ●●にまたがって、どんちゃんと現れるところが、少し唐突に感じられる気がする、その踊り狂ってしまう楽天的な部分をもう少し前半ににおわしていたら、最後のはじけるところが生きてくるのではないか。円丈師匠ははじける、ぎゃーというところがすごい点の1つなので、そこに焦点をあてて、伏線を張っていったら、面白くなるのではないだろうか。封印しないで欲しい。