赤ひげ、平敦盛 文化間移動は難しい

「新入社員」が入ってきた。この時期は世代間、文化間の差を感じるシーズンである。

次のことばの意味が分かるだろうか。


赤ひげ、平敦盛、泣いた赤鬼

ここのあたりは、一般的常識に近いように思うのだが。

もちろん、逆もあることだと思う。こっちが知らないこともある。

ある世代だけで使えることば。たとえば、大リーグボール養成ギブス。20代の人で分かる人はどのくらいいるだろう。


この仕事はたいへんかもしれないけれど、大リーグボールが投げられるようになるかもしれいない。

というようにいうこと自体時代外れであるだろうし、何より大リーグボール養成ギブスというのが分からないだろう。それに個人的な体験を言うと、今となっては、星一徹というキャラクターは、笑い話の1つだろうが、私は「巨人の星」は怖くて見ることができなかった。星一徹のようないきなり急に怒り出して、見境がなくなるという父親というのは恐ろしくて、恐ろしくて仕方がなかった。だから、テレビも最初の、本当に子どもの時代の放送は見ていない。

話しをもとに戻すと、世代間のことばの違いも少なくない。価値観も違っている。日本人同士であっても、文化間移動はかなり難しいわけだ。新人は、学生から、社会人に文化間移動をする。容易なことではない。

その意味で、小社から近刊の『文化間移動をする子どもたちの学び』というタイトルには、大きな願いが込められているのだろう。異国から日本に来て、しかも、学校は特有の文化があるそんな中に、親の都合で、巻き込まれてしまった子どもたち。〈困難の中で、困難な文化間移動に挑み、取り組み、そしてその中からも学んで欲しい〉という祈りにも似た願いがある。

それは、外国から来た子どもたちともうすでに年齢的には大人になっている若者たちと子どもたちは違うだろう。それでも、2009年に新人となる人々におくりたい、願いである。もちろん、実際に出会えることのできる人は本当に少数なわけだが、新人ぽい応対にもできるだけ優しくしてあげたい。また、それは新人と呼ばれる間だけ、許される特権でもある。



泣いた赤鬼を加えました。社内で聞いたら、意外に多くの人が知らないので、ビックリ。