熊沢鉛版所 私の本作りのスタート地点

T出版のTさんにお目にかかって、話しをした。その中で日本の出版の歴史における紙型の話しになった。

紙型、というものをご存じの方はいらっしゃるだろうか。出版業界にいる人でも、今や、ほとんどの人が知らないという時代になった。

紙型というものは、活版印刷時代のものだ。本は、活字で組まれる。手書きの原稿を見ながら、文字を次々と選んでいき、もとの原稿の文字を活字で作っていく。活字で文書を作っていくことを、業界的には「組む」という。

話しは飛ぶが、活字を英語でMovable Typeという。21世紀に生きる多くの人は、ネットの世界に詳しい人なら、Movable Typeというとブログを生成するプログラムのことだと思うだろう。しかし、それは活字という意味の剽窃あるいはパクリである。

話しを元に戻す。活字は「動く文字」だから、組んで1ページを作っても、乱暴に扱うと文字が飛んでしまったり、浮いてしまったりする。だから、もし、重版するような本の場合、それを厚みのあるぬらした紙に押しつけて、その型どりをする。その型どりをしたものは、活字の盛り上がっている部分が凹むことになる。そして、印刷をする時には、そのくぼみに鉛を流し込んで、逆に活字の盛り上がっていたところが盛り上がっている鉛の板を作る。この鉛の板が鉛版というものである。

私が、前の会社に入社し、1年が過ぎた頃、製作担当者になり、特に重版の担当者になった。その時にお世話になったのが、紙型であり、鉛版であった。重版が決まると倉庫に行って、紙型を見つけ出す。紙型を見つけると言っても、紙型の束がそこここに積み重ねられている中から、目的の書籍の紙型を探し出すところから、はじまる。鉛のにおいのする紙型を掘っては掘り、見つけ出す。

見つけると車に積んで、鉛版屋さんに持って行って鋳込んでもらう。それが、製造の仕事に携わる最初の仕事だった。持って行って鋳込んでもらうところ、それが熊沢鉛版所であった。ネットで検索したところ、なぜかラーメンのリストに名前があって、住所があった。それをgoogleで検索するとストリートビューがあり、そのたてものは確かにそれであった。

もうしめられてしまったその鉛版所の確かに扉だった。