大学院への願書提出

個人的なことでもあるのだが、文化経営学を学び、研究するために、大学院を受験することにしました。

学術出版社が、21世紀、社会的な役割を持ちうるのか、というようなことをまじめに考えてみたいと思ったからです。このことは、以前にも書いたことがあると思います。

学術出版社の経営者として、自分の仕事を丁寧に考えたい。そして、独りよがりではなく、議論をしながら、その考えをきちんと整理し、誰かと共有したり、共有しない部分を確認することができればとの思いからです。

また、そういうことを考える際の基本を知りたいというのもあります。

その願書を今日、書留で出しました。社会人枠での受験です。外国語を英語以外に何かをやることは現状では不可能ですし、自分の仕事の足下を見直したいという出版人としての経験と思想の再考ですので、純粋が学究というよりも、反省的な実践家としての学びですから、社会人としての受験です。

いろいろと分かりたいことがあります。たとえば、文化政策というものの予算と餓死寸前の人間を救う「生活保護」のような公共政策はどう折り合いを付けるのでしょう。後者の方が、緊急であることは間違いはありません。また、政府は小さければ小さいほどいいという新自由主義無政府主義的な考えからすると、政府はセイフティネットの仕事をすればいいのであって、文化政策は不要であるという考えもあります。

今、貧窮にいてどうしようもない人へ予算を振り向けないで文化的な政策に予算を使うとしたら、それはどういう理由で許されるのでしょう。文化政策は、余剰のものなのでしょうか。政策が資源の分配のためであるとして、緊急で生命を救うこと以外の政策は、政策としてどういうところに位置しているのでしょうか。政策とは政府とは、何なのかということにもつながります。

法学部でも出ている人には、当たり前の議論なのかも知れません。