洋販倒産をめぐって 希望を持って語るためには、商売の基礎が肝心

第2段

洋販の倒産で検索すると、ブックオフが支援するということが、出版業界の崩壊であるかのように語っているページが多いように見えるのだけれども、そのことはどうでもよいような気がする。

きちんと商売していなかったということにつきるのではないだろうか。青山ブックセンターも、思い入れで語られることが多いけれども、ここ数年はどうだったのかというと、書店としての基礎力について考えると商売の本筋をきちんとやっていなかったということではないだろうか。

以前、青山ブックセンターに行って目撃したことを思い出す。ある女性が店員に本の問い合わせをしていた。するとその店員は、いきなり走り出し、棚に行って本を取りに行った。そして、何も手にしないで走って帰ってきたのだった。私が店員なら、そのコーナーまでお連れして、その本を一緒に探し、なければ同じ作家のものかおなじジャンルのものを紹介するだろう。

まるで、お店の人はアマゾンの倉庫の自動集荷装置のように走っていた。そういうふうに見ているとあちこちで店員が走っている。そこにも走っているし、あっちでも。そういうふうに手をむなしくしてあわただしく駆け回っていた。

そう、私は久しぶりに青山ブックセンターに営業に行ったのであった。どうしようか、私もいっしょに走り出そうか。お願いします、少し時間をくださいませんか。紹介したい本があるのです。その時にカバンに入っていたのは、『ファンダメンタル音声学』だったろうか。それとも。しかし、伴走するのを断念して、出入り口の外にあるエスカレーターに乗ったような気がする。

これでは、たぶん、店内検索装置に任せておいた方がよいということになるだろう。

青学の英文科の先生に会ったら、青学の購買会は洋書の返品ができないので、学生に対して教科書として洋書を注文できないとこぼしていた。青学の購買会は、基本は和書の書店であるし、仕方がないだろう。でも、青山ブックセンターなら、洋書の取り扱いは慣れているはずだ、どうして洋書の教科書の営業をしなかったのだろう。目と鼻のさきと言えないことはない距離であったのに。

さらにせっかくの洋書と和書がまったく別々のコーナーにあって、何の連関も融合も接触すらなかった。自らの有利な点を生かすのは商売の基本だろう。

商売の基本ができていないお店が、倒産したとして、それは出版業界の問題でも何でもない。何かが起こると出版業の衰退だとコメントするのはどうなんだろうか。

希望を語るには、商売の力が必要なのではないだろうか。たやすく、失望を語らないで欲しい。