JJT大学での講義のための覚え書き―組版についてその1
組版について
JJT大学での講義のための覚え書き
本とは何かというと物理的には
文章の載っているページがつながって綴じられていて、背にタイトルが書かれているものということになる。
1ページだけのものは、文書ではあっても本ではない。
それと書き手の考えが、ある程度まとまっている分量が必要。
20ページであれば、記事や論文ということはいえるが、本とはいいがたい。
1章だけだと本とはいいがたい。あるいは、詩集だとして、詩がもし短いもので一つしかない場合、詩とは呼べるが本としての詩集と呼べるのだろうか。難しい気がする。
たぶん、詩人の人は、関係ないことだというかもしれない。小説家でも短編一つだけでも優れたものであれば作品と呼ぶことはできる。しかし、書籍としての詩集としても難しいのではないか。
作品と単行本というのは違うカテゴリーだということになるだろう。
電子的にも同じことがいえる。1ページしかないものは、documentであって、bookではない。20ページしかなくて、背表紙がないモノはdocument、articleであって、bookではない。電子本とは何か、背表紙のある電子本であろう。とすると電子本棚というものがなければ、電子本もないということだろう。電子フォルダだけでは、電子本は作れないということになる。webcatplusは、電子本棚に近いものがあるように思う。電子書斎というものはあるのだろうか?
私は検索だけでは本棚ではないと思っています。したがって、googleで検索してでてくる画面は、本棚ではないと思います。
と考えるとonline journalはありえても、online bookというのはなに?ということになる。online bookというのはどういうものだろう。成立しようがないものなのだろうか?
さて、それにしても、本はページが複数あって本になる。はじめは短ページからはじまる。そのページは何で構成されているのだろうか。
ページは、文字と空白によって構成されている。
その文字は、列をなしていて、それが複数の列をなしている。
文字は規則的な配列で並んでいる。
規則性がないと、読みにくい。文字に何か別のものが表現されてしまう。文字は同じ書体のものである。書体がバラバラだと、何か別のものが表現されてしまう。
行があるということ。
その行は、規則性が必要。規則性がないと行が目立ってしまう。
規則性によって、文字列の意味をできるだけ素直に伝えたい。黒子のように目立たないものでありたい。
そこには意図も何もないかのようにふるまわせたい、ということ。
逆に言うと上品な文字組とか乱暴な文字組とか、丁寧な文字組とか丁寧ではない文字組とかはある、ということ。
かっちりしたものがよいものもあれば、少しユルイ感じのあった方がいい本もある。書体のイメージ、文字組。
組版というもののジレンマは、目立たないようにという点ときちんとチューニングする必要があるということにある。
ページは、行が複数あってなりたつと言い換えてもいいのかもしれない。
ここで、文字を構成しているものに関心を寄せよう。
それが書体である。
つづく