平成19年度 国語施策懇談会に参加
3月25日に、国語施策懇談会に出かけてきました。漢字小委員会と日本語教育小委員会の報告を聞きました。
漢字は前田先生でした。前田先生はご苦労されたことと思います。お聞きした話として、現状を整理してくださったということだと思います。漢字については、文化庁の国語科の常用漢字という流れがあるその外側に、人名の住民票への登録とのことで法務省、通信に関わって旧通産省のJIS漢字があって、お話しでは連携はないとのことでした。
このこと自体の問題はあるように思います。国としての漢字についての方針がないということについてどうするか、という点はどうなるのかと思いました。
JIS漢字がかなりの文字数になっていて、言語生活として無制限でよいのか、実際に使うという点では制限するということにも意味があると考えているとのことでした。これは適切な見識と思いますが、やはり、上記のように全体としての取り扱いをどう考えるのだろうか?
これは文化庁の問題と言うよりも、日本社会全体の問題と言えるだろう。そうなると国立国語研究所が、独立法人という政府に直轄しているかたちで存在し、議論自体を先導するべきではなかったか。そういう社会的な位置づけにしておくべきではなかったのか。
さらに、興味深いのはこれはフロワーの反応で、いつも漢字何でも主義者がいて、私が国語施策懇談会に20年以上前に行った時と同じようなことを言っていたということだ。興味深いのは、前田先生のことをバカとのたまわったということだ。ここにあるのは、学問や研究に対する冒涜である。立場が違うからと言ってバカということはその人自体に知性がないということである。そのような知性のない人が、発言できるとは。
前田先生の考えに反対でも別にかまわないけれども、そういう人で国語史や国語語彙史や表記史を研究している方を見かけたことがない。研究も何もしないで発言できるほど、国語施策はあまくて感情でどうのこうの言えるものなのだろうか?
気分や思いつきで感情で発言できるというふうに考えるのであれば、学問的調査・研究は必要が無く、国立国語研究所も必要がない、ということになるだろう。
日本語教育については西原鈴子先生が発表された。内容的には日本語教育学会などでお聞きしていたものと同様であったと思う。提言というかたちでまとめられたものであった。たいへんな労力であったことと思う。ご苦労様でした。
私が気になった点は2つ。一つ目は予算。日本語教育の事業に使われている予算について、中国帰国者向けの日本語教育については500万円しか使っていないということであったが、少なすぎないだろうか?他のテーマについても総じて予算が少ないように感じたけれども、そんなことはないのだろうか。もう一つは、文化庁の国語科が国語に関心ある人向けの話であったけれども、一般的な国民への情報提供や現状の報告などについて、広報的なことが全く触れられていなかった点である。
先の国立国語研の問題もあるように、市民・国民にとって国語政策ということが他人事であれば、あるいは無関心であれば、国立国語研究所が独立行政法人からいきなり移管されてしまうようなことが起こってしまう時代である。
日本語教育というものが、市民・国民にとって重要な社会政策の一つであるということを文化庁の関係以外のところに伝えておかないと政策はいつなし崩しに消えてしまっても、反対のしようがない。
文科省・文化庁外の世界にどうやって伝えていくのか、巻き込んでいくのかということは、一言あってもよかったのではないか。そうしないと文化庁が頑張って日本語教育のことを議論しても、他の省庁が頭越しに別のことをやってしまうかもしれない、基礎的な研究の積み重ねを一挙に廃棄してしまうということも起こりかねない。
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龍谷大の田尻先生に言語政策ウオッチをはじめると申し上げたら、文部科学省のメールマガジンをとったらと言われましたが、恐ろしく沢山のメールが来そうで、恐ろしい。
出版人として申し上げると、ネットで公開されているということ、メールマガジンで発信されているということは、情報の共有化とは無縁の考えであると言うことだ。つまり、検索されてでてくるということと、編集された情報があるということは全くレベルの違う話であるということである。