国民道楽総生産を提唱する

お盆休み中に考えていたこと。国民道楽総生産の増加を目指すことにしてはどうだろうか?


加藤哲夫さんの進めていた『成熟日本への進路 −成長論から分配論へ』(波頭亮著 ちくま新書)は、経済成長を目的にするのはやめて、低成長時代の目的を見つけるべきだという。低成長時代についての紹介ではありませんが、私が引かれたのは加藤さんの紹介の文章からです。引用します。


皆さん知っていましたか?
「自力で生活できない人を国が助けてあげる必要はない」と答える人の比率が、日本は世界一だということを。

あの自由と自己責任のアメリカでさえ、28%
普通の国なら、ドイツもフランスもイタリアも中国もインドもスペインも、どんな国でも、自力で生活できない人を国が助けてあげる必要はないと答える人の割合は10%以下だというのです。アメリカはかなり例外の国。

ところが、わが日本は、なんとなんと、必要はないと答える人が、38%だというのです。

加藤さんの紹介は置いておいて、気になるのは低成長時代の目標設定をするべきであるというこの本自体のテーマ設定です。61年生まれで、高度経済成長時代の申し子とも言える私たちの世代からすると、経済中心主義からの脱却というテーマは受け入れやすいものです。その一方で、バブルがあった時のあの勢いからは全く無縁で、生まれてからこの方ずっと不景気と言われる時代を生きている若者たち、時代のせいに過ぎないのに、ダメだと言われ続けていることは理不尽であり、その理不尽さは経済成長がのぞめなくなった時代であるからだと思いますし、経済成長を経験した人々の年金のために若者が働くというのはおかしいし、「気分はもう戦争」というやるせなさを生み出してもいるように思います。


東浩紀参議院選挙でみんなの党社民党に投票したという荻上チキ氏の考え(ちょっとその選択は違うんじゃない?)をしりたくてアマゾンで検索してでてきた『経済成長って何で必要なんだろう?』( 飯田 泰之他著 光文社)は、経済成長がなければダメなんだという。私はあまり積極的に面白いと思わなかった。たしかに脱経済成長という人の中に、商売そのものを否定してしまう、稼ぐことからそもそも否定的という人も一部にいて、それじゃあ、稼ぎもせずどんどんマイナスになっていけばいいのか、それは違うだろ、という点には共感できますが、一方で「経済成長が大事だ、経済成長が大事だ」と唱えているばかりのようにも受け取れます。


経済成長が必要だとして、過去のビジョンにしがみついているような印象を受けます。


低成長・経済成長を期待しないという考えと経済成長を復活させるべき、という考えとどちらが正しいのでしょうか。しかし、マーケッターでも経済評論家でもない私には、数字を出して説得しようとされても、どっちが正しいのか、分かりかねます。


で、思うのである。非常に単純な発想。仕事が充実していることも大事だし、人生が充実していることも大切だ。そうすると楽しく飲んで食事をして話しをしてという楽しみの総体を増やすことじゃないのだろうか。チャーン店ばっかり増えても、人生は楽しくない。和風の店名で、チェーン店の牛タン屋はごめんだ、もう行かないゾ!ということ道楽の増大を目指してはどうか。


道楽とは、芸能、芸、芸術ではないか?食べ物も入っているし、歌舞音曲、ダンス、芝居などなど。それに忘れてならないのが学問である。学問は近代以前は、大学に独占されず、市井のものであった。講談みたいなものであるわけだ。図書館も美術館も博物館もこの道楽力を後押しするためにある。


国民道楽総生産 GDPである。Gross(全体)、Douraku(道楽)、Perfomance(芸能)。生産ではなく。創出、あるいは演出としたいと思うのだがどうだろうか。


効率も競争も尊重してもいいけれど、道楽性をそこなってしまったら、それは何のためのことかということになるのではないか。